そのファン、爆風につき――DELTA「FFB0812EHE」:矢野渉の「金属魂」Vol.21
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回は疾走する時代が生んだ、自走するファンの物語。回転はロマンである。
すべての回転系に愛を
もうずいぶんと昔のことになるが、「モータ技術展」という展示会のポスターを撮影したことがある。図柄はシンプルなもので、ダークグレーをバックに、カバーを外したモーターがこちらに先端を突き出すようにしている、迫力のある絵コンテだった。
4×5カメラをセットしながら、僕はモーターに巻かれたコイルの美しさに魅了された。螺旋(らせん)状に、ある規則性をもってまるで三つ編みのように絡み合っている銅線は、1つのアートとして成立しているかのようだったからだ。
「回しませんか?」と僕は担当のデザイナーに声をかけた。彼はニコリとしてスイッチを入れた。回転するものは回っているときが一番美しい。ある周波数を保ちながら、耳触りのよい回転音がいつまでも響いていた。
撮影はストロボで一瞬動きを止めた静止画を残し、ブルーランプ光源下で長めのシャッターを切ることで、その上に回転している「動きの軌跡」を重ねるように写し込んだ。まったく動きのないカットも撮影したが、結局モーターの回転が感じられる最初のカットが採用され、満足のいく仕事となった。
回転するものは美しい。常に一定の回転数で回り続けるモーターは、シンプルな構造であるが故になぜか人の心を惹(ひ)きつける。見ていて飽きないのである。扇風機の中で回っている緑色の半透明なファンを通して、向こう側の景色を飽きずに眺めていた子どものころの思い出は、1枚の絵のようにいつまでも頭の片隅に残っている。
PCハードウェアにおける回転系の受難
仕事上でPCの撮影が増えていったのも、もしかしたらモーターが1つの理由なのかもしれない。一般に普及し始めたころのPCにはモーターがたくさん使われていた。ノートPCでいえば、3スピンドルノート(FDD、HDD、光学ドライブ)が普通だったし、これにCPUファンを加えると4個のモーターが回っていたことになる。
しかし時は流れ、「エコ」がブームになり始めるとともにモーターは徐々に数を減らす。省電力が叫ばれるとモーターは分が悪い。また静音PCが流行(はや)ると真っ先に悪者にされた。
まずFDDが外付けになり(Windowsのインストールにフロッピーディスクを使わなくなったのが痛かった)、モバイルノートPCが軽量、小型化するに従って光学ドライブも本体から締め出された。かなり大きなデータも、USBメモリやネットでやりとりができるようになったからだ。そして容量をどんどん増やして鉄壁と思われていたHDDでさえ、最近ではSSDへの切り替わりが顕著だ。省電力とアクセススピードでは、もうSSDにはかなわない。
しかし、それでも僕は回転系のデバイスが好きだ。HDDのカリカリというアクセス音、光学ドライブが最高回転数まで上昇していくときのフィーンという音、この「回ってる、動いてる!」という音に安心感を覚えるのは僕だけではあるまい。
だが、どんなに負け惜しみを主張しようとも、もうトレンドに逆らうことはできない。「ファンレスPC」という言葉も定着したようにも見えるが、そこは高いパフォーマンスを求めるユーザーが多いためか、かろうじてCPUとGPUのファンだけが回転系の牙城を守っているのが現状である。
究極の風の行方
21世紀に入る前、世の中はもっと騒音に満ちていたように思う。街を走る車のエンジン音も、街角や電車内で会話している人々の声も、今よりももっと大きかった。「喧騒(けんそう)」という言葉が似合うような雰囲気があり、だからこそ消費活動も旺盛で活気に満ちていたのである。Delta Electronicsの「FFB0812EHE」という8センチファンがPCショップに並んだのは、こんな時代だった。
秋葉原の電気街を詳しく歩けば、もっと強力なファンを見つけることができただろうが、おそらくFFB0812EHEは初めて個別包装されてPC用としてショップに卸された「超強力」ファンなのである。
僕は何も考えずにFFB0812EHEをその場で購入した。スペックがそれまでの8センチファンと雲泥の差だったからだ。回転速度はそれまでの一般的なファンの3000rpmに対して5700rpm。エアフローは約2倍近く。そしてノイズはそれまでの30デシベル台に対してなんと52.5デシベルという、「それがなにか?」的な豪快さが何かを予感させた。「電源に直接つなぐこと。マザーボードから電源を取ると何があっても知らんよ」という注意書きがさらに期待を膨らませる。
とりあえず僕はFFB0812EHEを自作デスクトップPCのCPUファンとして使うことにした。ところがこの音がすごい。ジェットエンジンのような、キーンという金切り音がする。PCを起動するたびに掃除機をかけているようなものだ。深夜に妻に怒られ、10日ほどで取り外した。
しかし悔しい。この回転、このモーターの素晴らしいうねり音をなぜ諦めなければならないのか。FFB0812EHEは自分の力を持て余しているだけなのだ。冷却という意味ではこれ以上のファンはないのに、だ。僕はこのファンの最後の花道を演出することにした。
そのころ、僕が使っていたミドルタワーケースは、背面に8センチファンが取り付けられる穴が2個あいていた。そして自作に便利なようにキャスター付きの台にケースを載せていたのだ。もしかしたらFFB0812EHEは、このケースを動かすことができるかもしれない。そう思わせるぐらいの風量がFFB0812EHEにはあったのだ。
念のためもう1個FFB0812EHEを購入して実験は始まった。妻の外出を待って、フローリング床のリビングでPCのスイッチを入れた。すさまじい金属音、狙い通りの風が後方に巻き起こる。しかしミドルタワーケースはピクリともしない。
ならばと右手の人差指でケースに初速を与えてみた。クイと押すと、ミドルタワーは弱々しく、しかし確実に自力で前に進んだのだ。FFB0812EHEの実力は証明されたのだった。
PCの現状は、とても平和で静かな状況だ。省エネ、静音にも僕は大賛成である。しかしあのころ、まったく逆方向に弾けていた時代があったからこそ、今があるのだと僕は思いたい。あの経験が今の下地にあるのだと。
あの日以来一度も回転していないFFB0812EHEを眺めながら、そんなことを思った。
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