鈴木敏夫プロデューサーが語る、スタジオジブリ作品の創り方(前編)(2/5 ページ)

» 2010年11月25日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

監督を若手に任せた理由

西村 『借りぐらしのアリエッティ』では宮崎さんが監督ではなくて、若手(米林宏昌監督)を登用されましたよね。

鈴木 それはある時に彼が言い出したことが、発端となっています。ある日突然、僕のところに「鈴木さん!」と言ってやってきて、「何ですか?」と聞いたら、「ジブリの5年間の経営計画を立てた」と言うんですね。32年間付き合ってきて、そんなこと初めて言った(笑)。それで3年間で2本の映画を作ることになりました。いつも2年で1本だったので、これは今までやったことがないペースなんです。

 理由はあるんです。世の中が激動していて、明日何が起こるか分からない。そういう時には若い人で、勢いのある作品を2本連続で作るべきなんじゃないか、そしてその後、超大作をやろうよ、なんてことを考えたんです。だから最初から、『借りぐらしのアリエッティ』の企画は若い人にやらせると決まっていたんです。

西村 米林監督に白羽の矢を立てたのはどなたなんですか?

鈴木 僕です。企画は決まっても、監督候補ってそんなにいるわけじゃないんです。宮さんは何でもやることが早い人なのですが、非常にずるい人でもあって、企画が決まった瞬間、「監督はどうするの?」と聞かれたんです。

 それまで2人で「監督どうしよう」と散々話してきているんです。なかなかいないということはお互い分かっているくせに、「鈴木さん、監督はどうするんですか」と僕を会社の責任者として扱うんですよ。

『崖の上のポニョ』

 そうすると、さっきのいきさつでお分かりのように、僕も悔しいでしょ。その時、悔しさのあまり、とにかく具体的な名前を言おうという気になって、思わず「麻呂(米林監督のあだ名)」と言っちゃったんです。麻呂というのは、宮崎駿が育ててきた子飼いのアニメーターです。『崖の上のポニョ』でポニョが魚に乗ってやってくるあたりの絵を描いた人で、宮崎駿にとってはとても大事なスタッフ。そんな彼を監督にするということはどういうことかというと、彼(宮崎氏)の腕から奪い取るということなんです。

 監督とアニメーターというのは、違う仕事ですよね。そうすると、アニメーターとしての麻呂は宮さんのスタッフになるわけです。しかし、麻呂が監督になると同業者になってしまうので、その瞬間ライバルになるんですよね。多分僕は本能的にそれを思ったんです。「麻呂の名前を出せば宮さんが困るだろう」と(笑)。

 だから、僕が「麻呂」と言った時に、かつて見たことがないくらい困った顔をしました。今日会場に来ているスタジオジブリの星野康二社長は、その場にいましたから証言者ですよね。

 僕が「麻呂」と言った時、宮さんがまず目を伏せて、時間稼ぎしたんですね。時間稼ぎして何と言ったかというと、下を向きながら「いつから考えていたの?」と。彼は心を乱されたので、それを整えるための準備なんですね。そこで僕はすかさず「2〜3年前ですね」と(笑)。とどめを刺すんですよ、こういう時は。

 ほとんど毎日会っていて、毎日喋っていながらも、意表をつかないといけないので大変なんですよ。常に新鮮な気持ちで、表面は実に和やかな感じでやらないといけないわけですし。「麻呂、どうですかね」と言うのは、顔で笑いながらグサッという感じなんです(笑)。

 すると、宮さんはその時、立ち上がったんですね。自分の動揺を隠したいので、後ろを向きながら、いきなり「じゃあ、すぐに麻呂を呼ぼう。あいつが引き受けるかどうかで決めちゃおう」と言い出したんです。

 それで僕はすぐ麻呂に連絡して、ある部屋に来てもらって、みんなで彼に迫ることになりました。彼にも事前予告なんて何もなかったので、相当驚いていましたね。驚いているのは彼だけでなくて、実を言うと説得している僕が一番驚いていたんですけどね。30分前には何も考えていなかったわけですから。「2〜3年前ですね」といった時に僕はもう覚悟していたんです。「こいつでやろう」と。やってみてダメだったら、しょうがないですよ。

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