SHOCK THE WORLDの取材でニューヨークに行ったときのことだ(参照記事)。「G-SHOCKって来年で30周年ですよね。30年前に初代G-SHOCKを作った方って、今もカシオに在籍されているんですか?」とカシオ計算機の広報担当者に聞いたところ、「あ、ちょうど今回一緒にニューヨークに来てますよ。ほら、あの人です」と紹介されたのが、初代G-SHOCKの生みの親、伊部菊雄さんだった。
G-SHOCKが主役であるイベントSHOCK THE WORLDに集まっている世界中のメディアの人たちが、「この人がG-SHOCKを作ったんですよ」と伊部さんを紹介されるたびに、驚き、感激して握手を求めたり一緒に写真を撮ったりしていた。伊部さんは非常に温和な方で、こういう言い方が適切なのか分からないが、言われなければとてもそうとは分からない……良い意味で「普通の人」である。偉ぶったりする様子もまったくなく、握手や写真を求められるたびに、ニコニコと相手のリクエストに応じている様子が印象的だった。
……前置きが長くなってしまった。ニューヨークでいろいろと伊部さんと話す機会を得た筆者は、敢えてG-SHOCK以外のことばかりをしゃべっていた。東京に帰ってから、改めて伊部さんにG-SHOCKの開発についてお聞きしたいと思ったからだ。
1983年4月に発売された初代G-SHOCK「DW-5000C-1A」は、「PROJECT TEAM Tough」という3人の開発チームの手で作られた。商品企画を担当したのは増田裕一氏(カシオ計算機取締役時計事業部長)、デザインを担当したのは二階堂隆氏(現在はエルグデザインの代表)、そして設計を担当したのが伊部菊雄氏である。今回、改めてインタビューの機会をいただき、G-SHOCKの生みの親であるエンジニア、伊部菊雄さんに、当時の話を詳しく伺うことができた。本当に詳細に語って頂いたので、ちょっと長くなってしまうが、ぜひ最後まで読んでいただければと思う。(聞き手、吉岡綾乃)
――G-SHOCKは来年で30周年を迎えます。「壊れない」「タフ」というコンセプトは初代G-SHOCKから30年間まったく変わることがなかったわけですが、そもそもこの「壊れない時計」というコンセプトはどこから生まれたのでしょうか。また、G-SHOCKを作ったとき、伊部さんは何歳だったのでしょう?
伊部 僕は1976年に(カシオに)入社したんですが、81年の6月にG-SHOCKの開発がスタートしまして、当時28歳でした。これは当時の定番だったんですけど、僕は中学の入学祝いに万年筆を、高校の入学祝いに腕時計を買ってもらっています。あの頃、腕時計というのは精密機械であり、貴金属のような扱いだったんですね。落としたりしたら壊れてしまう、壊れないように大事に扱わなければいけない。それが常識というか、僕も無意識のうちにそう思っていました。
ある日、会社で人にぶつかって、腕からスルッと腕時計が落ちてしまったのです。壊れましたよ。床にぶつかって、針とかねじとか、バラバラに部品が飛び散って……で、それを見てですね。壊れてしまったショックよりも、常識だと思っていたことが現実に目の前に展開したことに、妙な話ですが、ある意味「感動」したんです。時計ってやっぱり、落としたら壊れるんだなぁ……って。
僕は当時(腕時計の)設計をしていたんですけど、設計は毎月1回「新技術・新商品提案」というペーパーを書いて提出しなくてはならない、という決まりになっていました。毎月1回新商品を考えるって、かなり大変なんですよ。苦しまぎれに書いてしまうときもあるんです。
それである日、紙にひとこと「落としても壊れない丈夫な時計」とだけ書いて出したんです。時計を落として壊したときのことを思い出したんですね。本来であればそのペーパーには、スケジュールとか、どう設計するとか、詳しく書かなくちゃいけないんですけど、一言だけ書いて出したらですね……それが通っちゃったんです。なぜか。
――G-SHOCKの「壊れない」というのは、「落としても壊れない」が出発点だったんですね。
伊部 そうです。新技術・新商品提案書のルールはうまくできていてですね、企画が通ったらその設計を進める代わりに、もうペーパーは書かなくて良くなるんですよ。なので僕は、実際に「落としても壊れない」時計を作ることになりました。
「どこで実験する? 何をやろう?」ということになって、考えた末「高いところから落とそう」ということに決めました。着想が、手からスルリと落ちたところから来ていますからね。どれくらい高いところがいいかな? と考えたんですけど、最初は1階から落としたんですが、2階に上がり、それでも満足できなくて3階に上がって……3階のトイレの窓から落とすことにしたんです。僕はちょっと高いところが苦手で、3階の窓から下を見下ろすと、ちょっと足がブルッとするくらいの結構な……いい高さなんです。
――3階から落とされたらさすがに普通の時計は壊れますね……何個くらい落としたんですか?
伊部 200〜300個くらいだと思います。実験室でサンプルを作るたびにトイレの窓から落として、1階まで取りにいって、「あ、また壊れてる」というのを延々とくり返しました。1階と3階の往復は毎回階段を上り下りしてたんですよね。階段を上りながら、どうしてダメだったのか考えたかったから、エレベーターは使わずに必ず階段で。おかげでずいぶん足腰が鍛えられました(笑)。
――どんなサンプルを作って落としていたんですか?
伊部 最初は甘く考えていて「(衝撃吸収用に)ゴムをつければいいだろう」と思っていました。最初は上下左右4カ所にゴムをつけたんです。でもダメ。どんどんつけるゴムを増やしていって……ソフトボール大のサイズまでゴムをつけたら、ようやく落としても壊れなくなったんです。
――えっ、ソフトボール大って……腕時計ですよね?
伊部 腕時計ですよ(笑)。落としても壊れなくはなったけど、ゴムでぐるぐる巻きになった腕時計を見て「さすがにこんなのを商品にするのは無理なんじゃないか」って、50%くらい内心思っていました。
しかも当時は、腕時計の薄型化の競争が激しかったころでしたからね。カシオはそういうの(薄型化、小型化などの技術進歩)が好きな会社ですから、同僚は「世界一の薄さの腕時計!」とか作っているんですよ。その横でゴムのソフトボールみたいなのを作ってる僕は、「薄型化ができなかったから、あいつ気が狂った」と思われていたかもしれないですね。
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