LCCの歴史を検証し、未来を展望する:秋本俊二の“飛行機と空と旅”の話(2/4 ページ)
LCC(格安航空会社)はいつどこで始まり、世界にどう広がっていったのか。その歴史を振り返ることで、航空の近未来が見えてくる。LCCは格安での旅を実現しただけでなく、人々の価値観やライフスタイルをも変えようとしている。
欧州やアジアに波及した“常識破り”のモデル
大手とは異なるビジネスモデルで驚異的な低運賃を実現し、航空自由化が進んだ欧米で発達してきたLCC。サウスウエスト航空は、まさにその“元祖”というべき存在だ。同社が米国テキサス州ダラスで産声をあげたのは、1971年。サンアントニオで小さなエアラインを率いてきたロリン・キング氏と、弁護士であり、その後はサウスウエスト航空の顔ともなったハーバート・ケレハー氏によって設立された。
最初はごくごく小さなエアラインとしてのスタートだったが、その後ある契機が訪れる。1978年に航空運賃が自由化されたのを機に、彼らは思い切って週末の回送便に格安運賃を設定してみたところ、乗客が殺到した。
「値段が安ければ、乗客は集まる!」
そのことを知った同社は、本気になって格安運賃の実現に取り組んだのだ。サウスウエスト航空が打ち立てた“常識破り”のビジネスモデルは世界に波及し、欧州やアジアでも同様なモデルのLCCが誕生した。アイルランドのライアンエアーや英国のイージージェット、シンガポールのタイガーエアウェイズ、マレーシアのエアアジア、タイのノックエアなどだ。一時期は海外へ行くたびに、それまで見たことも聞いたこともなかった新しい航空会社の宣伝ビラをあちこちで目にしたことを覚えている。
列車やバスの感覚で飛行機を利用する時代
クアラルンプール国際空港のLCC専用ターミナルを訪れたときのことだ。そこで、出発便への搭乗開始を待っていたバングラデシュからの出稼ぎ青年と知り合った。
「これからエアアジアの便で故郷へ帰る」と彼は言う。「いままでは3年に1回くらいしか帰郷できなかったけれど、最近は年に2回は両親の会いに行けるようになりました。エアアジアのチケットなら、私たちにも買えますから」
オーストラリア人のカップルも「安いチケットが手に入るおかげで休みのたびに旅行ができるようになった。エアアジアは本当にありがたい」と話していた。
エアアジアグループの総帥であるCEOのトニー・フェルナンデス氏は、もとはレコード会社ワーナーミュージックの幹部だった。その彼が航空業界に乗り込んだのは2001年。「マレーシアで飛行機に乗れるのは当時、人口のわずか6%だけだった。ならば残りの94%の人たちのために安い飛行機を飛ばすことで、大きなビジネスになると確信した」というのがそのきっかけだ。エアアジアは飛行機を、まさに列車やバスのような格安運賃で誰もが利用できる乗り物に変えた。
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