全国に大量発生の観光列車、ほとんどが「一代限り」か杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/4 ページ)

» 2015年09月25日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP


 日本全国で観光列車が人気だ。JR東日本の五能線を走る「リゾートしらかみ」、JR西日本の山陰本線を走る「みすゞ潮彩」、JR四国の予讃本線を走る「伊予灘ものがたり」、JR九州は観光列車の宝庫で、指宿枕崎線の「指宿のたまて箱」などがあるし、今年の夏から豪華スイーツトレイン「或る列車」も走り始めた。

キハ40系を改造した「リゾートしらかみ」 キハ40系を改造した「リゾートしらかみ」

 ここに挙げた5種類については共通点がある。「キハ40系」という、国鉄時代のディーゼルカーを改造した車両を使っている。「キハ40系」改造の観光列車は16種類もあり、今後も増えそうだ。観光列車はJRグループだけを数えてみても60種類以上もある。そのうち9割が改造車利用。新製車両は1割にも満たない。ここに観光列車発生の理由と今後の課題がある。

国鉄が車両の需要予測を見誤った

「リゾートしらかみ」中央部にキハ40系の名残がある 「リゾートしらかみ」中央部にキハ40系の名残がある

 キハ40系は普通列車用のディーゼルカーだ。国鉄は蒸気機関車時代の終焉に向けて、さまざまな形式のディーゼルカーを導入した。キハ40系はそれらのディーゼルカーの寿命も終わりかけたころ、1977年から1982年にかけて生産された。非電化路線の第3の主役といえる。

 キハ40系は大きく分けて3タイプある。1両単体で運転できるように両側に運転台を設置した「キハ40形」、片側のみ運転台を装備する「キハ47形」と「キハ48形」だ。キハ47とキハ48の違いは乗降扉の仕様。キハ47は通勤電車でよく見掛ける両開きドア。キハ48は片開きドア。さらに寒冷地向け、極寒地向けなどにも細分化できるけれど、だいたいこの3種類で地方の幹線から閑散路線までの需要に応じた。

 ただし、当時は国鉄の赤字が問題となっており、製造予算は限られた。旧型ディーゼルカーの置き換えだけではなく、客車が使われていた普通列車を置き換える目的もあった。だから、性能よりも数量を優先した。ゆえにキハ40系は大量に生産された。3形式の生産総数は888両だった。

キハ40系(キハ47形・左)と「指宿のたまて箱」(右) キハ40系(キハ47形・左)と「指宿のたまて箱」(右)

 今から30年以上前、私が高校生のころ、国鉄のローカル支線の列車は、乗客が少ないにもかかわらず車両はたくさん連結していた。最終列車で乗客は私一人にもかかわらず5両編成という場面を、東北と九州で何度も経験した。私はその場にたまたま居合わせた旅人だから、普段は空っぽの5両編成が空気を運んでいたことになる。高校生だった私は5両編成を貸切だ、などと喜んでいた。しかし、今振り返れば、当時の国鉄の現場にコスト意識がなく、上層部も輸送実体を把握していなかったと思われる。

 しかし、国鉄はキハ40系の導入にあたり、設備投資の見込みを間違った。このとき、生産数を絞り込み、そのコストを性能の良いエンジンに振り向けるべきだった。しかし現有車両と同じ数を維持しようと考えたから、車両の数量を優先し、エンジンに金をかけられなかった。当時は既に赤字ローカル線の廃止が実行段階に入っていたにもかかわらず。

       1|2|3|4 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.