三菱自動車の日産傘下入りが「シナリオ通り」に見えてしまう3つの理由スピン経済の歩き方(3/6 ページ)

» 2016年05月17日 08時05分 公開
[窪田順生ITmedia]

ゴーン氏と益子氏の蜜月関係

 すったもんだがあったが結局、2015年10月の基本合意では引き続き水島製作所で行うこととなった。その一方で、「設計開発、実験など実際の開発業務については、今後、日産自動車もより深くかかわる」(プレスリリースより)という方針が強調されるなど、「開発」は日産主導だと印象づけた。

 そんなパワーゲームの最中、渦中の軽自動車で相手の「不正」を見つける。これを「主導権争い」に利用しようというのは、ごく自然な流れだ。ましてや、日産はゴーン社長以下、経営幹部が外国人というほぼ外資。「敵失」をただ指をくわえて見ているような、のんびりとしたカルチャーなのか、という疑問も浮かぶ。

 ただ、そんな状況証拠だけで「陰謀論」が囁(ささや)かれているわけではない。やはり、大きいのは2つ目の理由だ。それは「ゴーン氏と益子氏の蜜月関係」だ。

 今回の資本提携を公表した共同記者会見で、益子会長は資本提携協議が始まった時期について、日産と軽自動車を共同開発をスタートさせた2011年が「非常に大きなきっかけになった」と述べた。

 しかし、おっしゃるように「軽自動車」から協議が始まったというのなら2011年どころの話ではない。覚えている人も少ないだろうが、2004年の二度目のリコール隠しが発覚したとき、実は三菱グループ以外に真っ先に手を差し伸べたのが日産だった。

 経営再建策には盛り込まれなかったが、水島製作所の軽自動車部門を切り離し、日産との共同出資会社に譲渡する案があった。つまり、両社の軽自動車の共同開発をめぐる「協議」は2004年から行なわれていたのだ。

「陰謀論」が囁かれている理由のひとつに「ゴーン氏(写真)と益子氏の蜜月関係」がある(出典:日産自動車のFacebookページ)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.