三菱自動車の日産傘下入りが「シナリオ通り」に見えてしまう3つの理由スピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2016年05月17日 08時05分 公開
[窪田順生ITmedia]

「陰謀論」が囁かれる最大の理由

 静岡県富士市にCVT(自動車変速機)の世界的シェアを誇るジヤトコ株式会社という企業がある。日産が75%、三菱が15%出資しているこの企業が生まれたのは2002年。日産の子会社「ジヤトコ・トランステクノロジー」と、三菱自の水島製作所など三工場の変速機部門が事業統合をした。国内自動車メーカーが基幹部品で手を結ぶのは初のことだった。

 「日産、三菱はともに外資の支援を受けて経営再建中で、開発コストを抑える必要があった。特に三菱はリコール隠し事件の後遺症で販売低迷が続いており、今回の統合も三菱側が提案した」(読売新聞2001年10月5日)

 ゴーン氏が日産に乗り込んだのは1999年。その剛腕で経営を建て直す一方で、スケールメリットを求めて事業拡大に意欲をみせていた。つまり、益子会長にとってゴーン日産というのは、自身が三菱自に送りこまれた10年以上前から提携交渉を進めてきた「パートナー」であるとともに、2000年、2004年という経営危機が起きるたびに手を差し伸べてくれた「恩人」でもあるのだ。

 そんな日産が、三菱自側の燃費データに不審な点があると気づいたのは昨年11月だ。二度あることは三度あるではないが、今回もいち早く三菱自に手を差し伸べて、「傘下入り」という救済策を示したとしても、特に驚くような話ではない。

 このような両者の蜜月関係が「実はシナリオどおり」という疑念を抱かせていることは間違いないが、それをさらに「陰謀論」にまで押し上げてしまっている要素が別にある。それが3つ目の理由である「益子会長の不自然な立ち振る舞い」だ。

 燃費データ不正問題が発覚後、益子会長はなかなか公の場に現われず、はじめて登場したのは5月11日に開かれた謝罪会見である。その理由はこのように述べた。

 「執行部門のトップである相川社長に委ねておりましたが、社内調査がある程度まで進みましたので、監督側の代表として直接ご説明申し上げるのが適切と考え、本日参った次第です」

 ただ、これはあまりしっくりこなかった。

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