つまり、東京五輪裏金疑惑でマスコミが当初「電通」の名を伏せたのは「電通タブー」などではなく、単に捜査当局や公人が公式に「疑惑」について言及していなかった段階がゆえの「自主規制」だったのだ。
「なんだよ、電通の圧力じゃねえのか」という落胆の声が聞こえてきそうだが、個人的に「電通タブー」であってくれたほうが良かったと思っている。
電通のような民間企業の顔色をうかがって「忖度(そんたく)」しているというのなら、これは「カネ」の問題なので、報道機関が広告依存を解消するなどまだ問題の解決しようがある。しかし、公的機関への「依存体質」はちょっとやそっとでは解決できないからだ。
捜査当局、公人が言及しない「疑惑」を報じない、ということは裏を返せば、日本のマスコミの報道スタンスというのは、実は国会、役所、警察などの公的機関がイニシアティブを握っているということになる。つまり、今回の「電通カット」報道というのは、日本のテレビ・新聞が、英・ガーディアンやFACTAという調査報道に力を注ぐジャーナリストの見解よりも、公的機関の見方にお伺いをたてているという「情けない現実」をものの見事に浮き上がらせてしまったのだ。
聞いたこともあるだろうが、日本のマスコミ記者は“ふりだし”から、「夜討ち朝駆け」という警察幹部の自宅まわりを行う。これは情報源として親密な関係を構築する狙いもあるが、事件報道を行う際、担当記者としていつでも「裏取り」ができる体制を作ることが目的だ。
これは記者の「基本」とされる。警察官僚、高級官僚、国会議員、派閥の領袖……このような公人に携帯ひとつで「裏取り」ができるというのが優秀な記者である。言い換えれば、「いかに素早く公人や公的機関におうかがいをたてられるのか」がキモになっているのだ。
想像して欲しい。このような「ジャーナリスト教育」を30年近く施された人が巨大企業のトップになったらどうなるかを。政治家、高級官僚、警察官僚と「ポン友」として仲良く酒を酌み交わす間柄になれるのは間違いない。だが、権力の不正を暴くことができるのか。英・ガーディアンやFACTAのような地をはうような調査報道はできるのか。
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