多くの人に尊敬されていた、大横綱・千代の富士が残した“遺言”赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2016年08月02日 11時44分 公開
[臼北信行ITmedia]

大相撲のレジェンドは千代の富士

 1981年初場所。関脇として14勝1敗で並んだ横綱北の湖と優勝決定戦で相まみえ、上手出し投げで下し、本割で敗れた屈辱を晴らして初優勝を決める。ちなみにこの日の千秋楽・NHK大相撲中継は視聴率52.2%、瞬間最高視聴率65.3%(関東地方平均・ビデオリサーチ社調べ)を記録し、今も大相撲中継の史上最高値として破られていない。ここから「ウルフフィーバー」が始まり、同年の7月場所に2度目の優勝を果たして横綱昇進を決めた。

 横綱になっても努力を怠らなかった。前場所で負けた相手には積極的に相手部屋へ稽古に出向き、攻略法を見つけようとした。横綱のポジションになればデンと構えてラクをしそうにも思えるが、千代の富士の辞書にはそのようなものは一切なかったのである。例えば元大関小錦(現KONISHIKI氏)には初対戦から連敗を重ねたが、相手の高砂部屋まで自ら足を運んで何度も出稽古に行くことで勝利への糸口を見つけ出した。最終的に20勝(うち不戦勝が1つ)9敗と大きく勝ち越したのは、まさにこうした努力の賜物である。

 「横綱という立場の人が、恥も外聞も捨てて出稽古にやって来る。普通ならばプライドが邪魔をするのに、横綱(千代の富士)は違った。『横綱だからこそ負けてはいけない』という責任感が人一倍強かったのだと思う。あの当時は、もうこっちがギブアップしたくなるくらいに何度も出稽古に駆り出され、そしてぶつかり合った。あそこまで負けん気が強く、取り口を追求し続ける力士は見たことがない。間違いなく本当に強い大横綱だった」とKONISHIKI氏は回想している。

 同氏が外国メディアから取材を受けた際、必ず「NBAのレジェンドはマイケル・ジョーダン、大相撲のレジェンドは千代の富士」と言い切ってリスペクトしているのもうなづける話だ。

 日本人力士はもちろんのこと、KONISHIKI氏を含め新旧の外国人力士たちからも「レジェンド」として羨望の眼差しを向けられていた。現在の横綱2人も「自分が目指すべき理想の力士」(横綱白鵬)、「『史上最強』の名がふさわしい横綱」(横綱日馬富士)と千代の富士に強い尊敬の念を抱いている。「千代の富士イズム」は脈々と現世代の最強力士たちに受け継がれているのだ。

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