鉄道物流から考える豊洲市場移転問題杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/5 ページ)

» 2016年10月14日 06時30分 公開
[杉山淳一ITmedia]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP


鉄道記念日と旧新橋駅、そして築地市場

汐留にある旧新橋停車場 汐留にある旧新橋停車場

 10月14日は「鉄道の日」だ。1872年(明治5年)に日本の鉄道が正式に開業した記念日である。運行区間は新橋〜横浜間。ただし、当時の新橋駅は現在の汐留シオサイトの中だった。現在は旧新橋停車場を模した建物があり、飲食店と鉄道歴史展示室がある。ちなみに、横浜駅は現在のJR根岸線桜木町駅である。桜木町駅から赤レンガ倉庫へ向かう汽車道は、旧横浜駅と横浜港を結ぶ貨物線の遺構である。どちらも鉄道記念日に訪ねたい散歩コースだ。

 旧新橋駅は1914年まで東海道本線の起点だった。1914年に東京駅が開業したとき、それまで電車用だった烏森駅を新橋駅に改称した。これが現在の新橋駅だ。旧新橋駅は汐留駅と改称し、それから62年間、1986年まで貨物駅として使われた。広大な用地は首都・東京の物流の拠点だった。しかし、国鉄の赤字精算のため売却された。これが現在の汐留シオサイト。電通本社など高層ビルが並ぶ一帯は、かつて汐留貨物駅だった。

鉄道遺構、銀座に残された唯一の鉄道踏切警報器 鉄道遺構、銀座に残された唯一の鉄道踏切警報器

 旧新橋停車場から少し離れた場所にも鉄道の遺構がある。歩道橋で首都高速の下を通り抜け、南へ歩き、銀座郵便局の角を曲がった細い道に踏切警報器がある。この細い道はかつて線路だった。ちょうど汐留貨物駅と築地市場をつなぐ経路になる。なぜ、ここに線路があったか。この線路と踏切警報器が、築地市場の立地の理由を示している。

 築地市場は、1923年の関東大震災の復興事業として作られた仮設市場が発祥だ。歴史ある魚河岸などが震災で壊滅したため、ここに市場機能を集約した。隅田川、汐留川、東京湾の水運と、汐留貨物駅の鉄道輸送の両方を使える好立地であった。1935年に東京市場が正式に整備されたとき、市場内には東京市場駅が開業し、汐留貨物駅と線路で結んだ。その線路が現在は踏切警報器のそばの道になっている。この道を築地市場へ向かって歩いて行くと、朝日新聞本社の脇を通り抜けて築地市場に突き当たる。

 築地市場の老朽化、移転問題の1つに「大型トラックやトレーラーが乗り入れにくい」がある。当然だ。築地市場は元々、鉄道と船を前提とした施設だから。古い航空写真を探し出すと、築地市場の構内にいくつか線路が敷かれている様子が分かる。

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