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» 2017年01月13日 06時30分 UPDATE

杉山淳一の「週刊鉄道経済」:鉄道と生まれ変わった宮城県女川町を旅した (1/3)

東日本大震災で市街の大半が消失し、復興の過程にある宮城県女川町。石巻線の全線復旧から1年10カ月、駅前商業施設「シーパルピア女川」のオープンから1年が過ぎた。新しい町に人々が列車で訪れる様子を見て、鉄道がある町の活気を感じた。

[杉山淳一,ITmedia]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP


 女川(おながわ)という地名は平安時代の発祥という。東北地方一帯を支配していた安倍貞任の一族が、朝廷より派遣された源頼義の軍勢と戦った。そのとき、安倍一族は婦女子を川の上流へ避難させた。この川が女川と呼ばれるようになった。女川は男たちが女たちを守って戦ったところである。

 その逸話が語り継がれていたのだろうか。

 2011年3月11日。東日本大震災が起きたとき、高台にある女川中学校は卒業式だった。地震が発生したため、生徒たちは校庭にいた。そこから津波の到来が見えた。津波は町を飲み込んで、やがて高台の校庭に浸水しはじめた。生徒たちはさらに高い場所、浄水場へ避難した。

女川中学校校庭の隅に建てられた石碑。2014年3月卒業生が建てた。「もし、大きな地震が来たら、この石碑より上へ逃げてください」などと書いてある 女川中学校校庭の隅に建てられた石碑。2014年3月卒業生が建てた。「もし、大きな地震が来たら、この石碑より上へ逃げてください」などと書いてある

 そのときの男子生徒の行動が胸を打つ。女子生徒たちを中央に集め、ブルーシートで風よけと覆いを作って周りを囲った。友を寒さから守るだけではなく、衝撃的な光景を見せないようにという配慮だったという。自ら風よけとなり津波を見て、寒さ、恐怖に耐えた。彼ら男子生徒の戦いは勇敢で優しい安倍一族に通じる。

 この話は、2014年の春、被災から3年後の女川で、復興まちづくり情報交流館の職員に聞いた。ようやくがれきが片付き、新しい町作りに向かって動き始めていた。情報交流館といってもプレハブ小屋だ。周囲は整地された土地が広がっている。その風景を、私は中学校の高台から見て呆然としていた。

中央が旧女川駅付近(2014年撮影) 中央が旧女川駅付近(2014年撮影)

喪失、そして希望

 2014年の女川町訪問は、私にとって2度目だった。1度目は震災前の2007年2月。女川は静かな町だった。漁港があり、観光施設の小さなビルがあった。その周辺から駅の近くまでは民家が密集していて、裏通りにはスナックが同居するアパート風の建物があった。漁師たちとその家族たちが暮らす町。つかの間の癒やしを求めて飲んべえが集まる一角。ワケありの男が、ワケありの女の店で飲み、何か物語が始まりそうな雰囲気だった。

2007年に高台の病院から見た風景 2007年に高台の病院から見た風景

 2度目の訪問で、その町がすべて消えていた。石巻線の浦宿〜女川間は線路が消失、女川駅は跡形もなかった。浦宿からの代行バスは復興工事現場を迂回し、坂道をクネクネと上って仮駅に到着した。そこは中学と同じ高台に続く、新しい復興住宅の前だった。

2014年に高台の病院から見た風景 2014年に高台の病院から見た風景

 復興まちづくり情報交流館の職員の話を続ける。震災当時、誰もが悲しみに暮れる中で、町長は人々を元気付けようと、新しい町づくりを提案し続けたという。ピンチをチャンスに変える。そうでなければ亡くなった市民に申し分けないと語ったそうだ。

 JR東日本は気仙沼線以北の鉄道復旧には消極的だった。しかし、石巻線の全線復旧は早期に決まった。原発を受け入れた町だからといううがった見方もある。しかし、町長が唱える地元の復興計画が早く決まり、協議がはかどったという要因も大きいだろう。

 情報交流館には新しい町を示す簡易なジオラマ模型があった。新しい女川駅は高台へ約200メートルほど引っ込む。旧駅と線路跡地を並木道として整備し、両側に土産物などの商店が並ぶ。このプロムナードを海岸まで伸ばして、海側は公園を整備する。民家は高台に置き、海岸は公園として人は住まない。次の災害に備える町づくりであった。

 この提案が早期に提案されたからこそ、JR東日本と女川町の協業が叶った。2015年3月に石巻線の女川駅は再建された。同年5月には仙石東北ラインが仙台〜石巻間で運行を開始し、6月から1往復が女川に直通している。

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