UFOキャッチャーが人の心を“つかみ”続けている理由水曜インタビュー劇場(改良公演)(1/6 ページ)

» 2017年09月20日 08時00分 公開
[土肥義則ITmedia]

 「お目当てのぬいぐるみが欲しいのに、うまくつかめなかった。もう1回!」と熱くなって、機械に100円を投入する――。クレーンゲーム機で遊んでいて、このような経験をしたことがある人も多いのでは。

 クレーンゲーム機はアミューズメント施設の看板ゲーム機としてどーんと設置されていることが多いが、クレーンゲーム機という呼び方よりも、「UFOキャッチャー」という製品名のほうが馴染みがあるのかもしれない。そのUFOキャッチャー……登場してから30年以上も経つのに、なぜいまでも多くの人に支持されているのか。その秘密をご紹介する前に、歴史を簡単に振り返ってみる。

 クレーンゲーム機は1960年半ばに海外から輸入された。それをきっかけに国内メーカーが続々とこの市場に参入し、セガも1965年に「スキルディガ」というクレーンゲーム機を発売。当時のモノは、筐体を上からのぞき込みながら景品を取るといった形だった。カプセルのなかにお菓子や雑貨などが入っていて、ちょっとしたブームに。40代以上の人であれば、「そーいえば、子どものころに遊んだ記憶があるなあ」といった人もいるだろう。

 クレーンゲーム機は順調に増えていったが、ライバルが登場する。ビデオゲーム機だ。ゲームセンターや家などで遊ぶ子どもが増えるなかで、セガは1985年に「UFOキャッチャー」を投入する。それまでのクレーンゲーム機と違って、UFOキャッチャーには大きな特徴が2つあった。1つは、目線の高さに景品を陳列できるようにしたこと。もう1つは、それまで主流だった3本爪を、2本爪にしたこと。

 関係者は「再びクレーンゲーム機に人が集まってくるのでは」と期待を寄せたが、それほどでもなかった。その後、「こうすれば話題になるのでは」「いやいや、そうではなくて、こうでしょ」と試行錯誤を重ねるうちに、5年以上の月日が経つ。そして、1991年に登場した、4代目のUFOキャッチャーが大ブームを巻き起こすのだ。

 アミューズメント施設だけでなく、レストラン、サービスエリアなどさまざまなところで設置されていくことになるが、このとき一体何が起きたのか。それだけではない。人気は一過性で終わらず、いまでも多くの人に愛されている。セガ・インタラクティブでUFOキャッチャーの開発などを担当している深澤光晴さんに、その理由を聞いたところ、UFOキャッチャーは改良、改良、また改良を重ねてきたことが分かってきた。私たちが知らないところで、どのように変化してきたのだろうか。聞き手は、ITmedia ビジネスオンラインの土肥義則。

2016年に発売された「UFO CATCHER 9 second」。フロントの柱がなく、背景パネルも透明になったことで、さまざまな角度から景品を閲覧できるようになった(C)SEGA
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