このように、明治時代から日本のいくつかの地域でブドウ栽培とワイン造りが行われてきたが、消費者は長らく甘味ブドウ酒を好む傾向は変わらなかった。1970年代まではワインと言えば甘味ブドウ酒で、いわゆる本格的なワインは一部の愛好家が輸入ワインを飲むだけにとどまっていた。
もちろん甘味ブドウ酒もワインの1つのカタチであるが、海外のワインに負けない本格的なワインを造りたい。そういった熱い思いがワインに携わる者たち中に沸々と生まれてきたのである。
その1人が浅井昭吾氏だ。メルシャンの勝沼工場(現在のシャトー・メルシャン)で工場長を務めていた浅井氏は、今後の日本のワインを考えたとき、欧州系のブドウ品種を日本でも栽培し、世界で認められるようなワインを造らないと発展はないという強い危機感を持っていた。折しも75年にワインの消費量が甘味ブドウ酒を逆転したが、日本で飲まれていたワインのほとんどが海外産だった。
浅井氏の熱意の下、76年にワイン醸造用として長野県塩尻市の桔梗ヶ原エリアでメルローの栽培をスタートしたのだ。栽培にあたって、浅井氏は地元のブドウ農家を回り、これまで甘味ブドウ酒用に作っていたコンコードやナイヤガラといったブドウ品種からメルローに切り替えてもらいたいと説得に当たった。農家にとっては従来のやり方を変えるのはリスクであり、二の足を踏むところが多かったが、それでも浅井氏は諦めずに訴え続けた。その情熱が1軒、また1軒と農家に伝わっていき、この地区にメルローのブドウ畑が広がっていったのだ。
当初、桔梗ヶ原のメルローで仕込んだワインは多品種とのブランドだったが、85年に優れたメルローが収穫されたことで単独の瓶詰めを決定。そうして89年に誕生したのが欧州系品種初のプレステージ赤ワイン「信州桔梗ヶ原メルロー1985」だ。これがスロベニアで開かれたリュブリアーナ国際ワインコンクールでグランド・ゴールド・メダルを受賞し、日本ワインのポテンシャルの高さを国内外に示したのだった。
これを契機に、シャルドネを北信エリアで、カベルネ・ソーヴィニヨンを城の平エリアでと、同社は他のブドウ品種の栽培に次々と挑戦していったのだ。
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