燃料電池は終わったのか?池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/4 ページ)

» 2018年02月26日 06時30分 公開
[池田直渡ITmedia]

トヨタの特異な体質

 さて、そうやって世に送り出したMIRAIだが、ここのところ話題に上ることは少なくなった。「燃料電池は終わった」とか「トヨタは選択を間違った」としたり顔で言う人が増えつつある。まあ、そう見えるのかもしれない。情報があまりにも少ないからだ。

 まずはトヨタの体質を知らなければならない。トヨタは目の前に選択肢が並んだとき、「選択と集中」という戦略は採らない。すべての可能性をしらみつぶしで同時進行させる。これはマツダが徹底的に選択と集中戦略を採って、少ないリソースを個別撃破に向けるやり方と対局にある。莫大なリソースを持つトヨタだからこそできる芸当だ。

世の趨勢が燃料電池に向かう中、期待されずに登場したプリウスはトヨタ躍進の立役者となった 世の趨勢が燃料電池に向かう中、期待されずに登場したプリウスはトヨタ躍進の立役者となった

 その戦略に至った最大の理由はハイブリッドの成功にあると筆者は見ている。プリウスは95年の東京モーターショーでそのプロトタイプが発表された。当時、既に欧州は「次世代は燃料電池」と考えていた。いや、実は欧州だけではない。世界中の自動車メーカーがそう思っていた。当のトヨタですら多分そう思っていたはずである。

 だからプリウスが出たとき、世間の目は冷ややかだった。「趨勢が燃料電池に決まった今、つなぎでしかないハイブリッドに大枚をはたいて注力するのは愚かなことだ」。そう多くの人が思ったのである。

 ところが、次世代のエースのはずの燃料電池はちっとも完成しなかった。当時燃料電池がどのくらい有力視されていたかはベンツのAクラスを見れば分かる。Aクラスはコンセプトモデルとして93年に発表され、97年に製品化された。Aクラスは床が二重構造になっており、後に燃料電池スタックをここに納めた追加モデルとしてFCVがデビューする予定だった。現実の技術開発史を知った今、90年代前半と言う時代に、FCVがそれほど完成に近づいているとベンツがなぜ考えたのかは未だに謎である。ただ、当時の世相の熱狂を思い起こせば、FCVの登場はカウントダウンにあるとしか思えなかった。しかし、待てど暮らせどFCVのAクラスは登場しなかったのである。

車載用角形電池事業の協業を発表する記者会見に臨むトヨタ自動車の豊田章男社長とパナソニックの津賀一宏社長 車載用角形電池事業の協業を発表する記者会見に臨むトヨタ自動車の豊田章男社長とパナソニックの津賀一宏社長

 「みにくいアヒルの子」呼ばわりされていたトヨタのハイブリッドが白鳥になったのはそれから間もなくだった。つなぎどころか、燃料電池がコケた後、次世代技術のエースの座はハイブリッドに転がり込んできたのである。トヨタが1000万台メーカーへと駆け上がっていく原動力になったのは明らかにハイブリッドであり、それは誰もが「愚かな回り道」と決め付けていたシステムだったのである。

 あざ笑っていたドイツ勢は完全に出遅れ、悔しまぎれに「ハイブリッドは低速な日本でだけ通じるガラパゴス技術」だと強弁し、次世代は燃料電池と宣言していた手のひらを返し、高速中心でのディーゼル優位を唱え、ダウンサイジングターボだと主張し、そしてまた宗旨替えして電気自動車(EV)だと騒ぐ。燃料電池でしくじり、ディーゼルでしくじり、ダウンサイジングターボもまた尻すぼみの中で、次はEVだと喧伝しながら、実際には48Vのマイルドハイブリッドにまい進中。それが欧州の現実だ。

 ハイブリッドの一件以来、トヨタは誰の見立ても信じない。トヨタ自身の見立てもだ。だからダメそうな技術であっても全力を注いで開発する。そのために人事システムまで変えた。そうやって選択肢を総なめでやれば、成功しそうな技術と芽が出なさそうな技術に必ず分かれる。トヨタは成功か失敗かは問わないことにした。着手時に分の悪そうな技術であっても、そこにフルスイングで臨めば、結果にかかわらず高く評価する。外れ技術の担当だとばかりに無気力に仕事をしたら失格者となる。それは全選択肢を捨てないトヨタならではの人事システムである。

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