ようやく発表されたトヨタとスズキの提携内容池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/3 ページ)

» 2018年05月28日 06時30分 公開
[池田直渡ITmedia]

提携の中身

 さて、トヨタとスズキの提携はまだ確定状態には至っていない。あくまでも協議の内容が発表されたに過ぎないが、その洗練度は相変わらず見事なものだ。以下スズキのリリースから書き出してみる。

<協議内容>

1. スズキが主体となって開発する小型超高効率パワートレインに対し、デンソーとトヨタが技術支援を行う。

2. スズキが開発した車両をトヨタキルロスカ自動車(株)(以下、TKM)で生産し、トヨタ・スズキの両ブランドでインド国内において販売する。

3. 上記TKM生産モデルを含むスズキの開発車両を、トヨタ・スズキ両社がインドからアフリカ市場向け等に供給し、それぞれの販売網を活用して販売するとともに物流・サービス領域の協業を進める。

 これらの詳細については、今後協議していく。

 大前提の説明から始めよう。インドは言うまでもなく中国以上のポテンシャルを持つ、次世代自動車産業の激戦区である。スズキは81年に、インド政府76%、スズキ24%の出資でマルチ・ウドヨグ社を設立した。インド国民車構想にのっとって、日本の軽自動車「アルト」に800ccのエンジンを搭載した「マルチ800」を販売。ピーク時にはインドの80%を占める寡占状態を誇った。マルチ・ウドヨグ社は現在マルチ・スズキ・インディアと社名を変更しつつ40%前後のシェアを誇っている。

 80%から40%へのシェアの落ち込みの理由は簡単で、91年ベルリンの壁崩壊で、それまでソ連とのビジネスを大きな柱としてきたインド経済は大打撃を受けた。中印戦争と第二次印パ戦争以降、インドはソ連を後ろ盾にしつつ、中国を背景とするパキスタンと対立してきた。ところが、頼みの綱としてきたソ連は崩壊してしまう。加えて湾岸戦争で石油が高騰し、同時にリスクの高い中東への出稼ぎによる外貨獲得が激減し、外貨準備高が不足した。通貨危機に陥ったインド政府はルピーを20%切り下げると同時に、親共産主義の方向を改め、経済自由化政策を打ち出した。

第4世代のヒンドゥスタン・アンバサダー(出典:Wikipedia) 第4世代のヒンドゥスタン・アンバサダー(出典:Wikipedia

 そこで90年代を通して世界中の自動車メーカーがインドマーケットに参入を始めるのである。それまで大戦直後の英国車のノックダウンモデルであるヒンダスタン・アンバサダーくらいしか目ぼしいクルマがなかったインドマーケットでは性能でも価格でもスズキは圧倒的であり、自動車産業の参入が規制されていたマーケットでは無人の野を行くような圧勝を続けていた。

 ところが経済自由化によって、ルノー、GM、ダイムラー、ホンダ、フィアット、ヒュンダイ、トヨタ、フォード、シュコダ(フォルクスワーゲン傘下)、BMW、三菱、マツダ、ボルボ、デーウなど多くの自動車メーカーが参入して、スズキの事実上の独占マーケット時代が終わり、大競争時代に突入した。この大競争の中で、当然スズキのシェアは落ちるのだが、その間もスズキの販売台数はうなぎのぼりを続ける。それだけの驚異的成長中のマーケットなのだ。それでもスズキは寡占時代の余勢をかって40%のシェアを確保し続けている。

 さてインドには大きなポテンシャルがあり、それゆえに競争が激化している。ここで勝つためにどうすれば良いのか?

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