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» 2018年07月12日 07時00分 公開

【新連載】内田恭子の「日常で触れたプロフェッショナル」:世代を超えて愛される、かこさとしさんの絵本 (1/3)

自分が親になってから初めて出会う絵本が、なぜか幼い日々を思い出させてくれる。かこさとしさんの絵本は私にとってどれもそんな作品ばかりなのだ。

[内田恭子,ITmedia]

 昔、よくつけていた香水の香りを嗅いだとき。よく聞いていた音楽を聴いたとき。時間も空間も超え、その当時の自分に一瞬にして戻ることがある。普段は頭のはるか片隅に追いやられ、もはや忘れ去っていたのかと思われていた五感や気持ちが実にリアルによみがえってくる。絵本もそう。ページを開くと、幼いころの私がそこにいる。

 不思議なことに、かつて好きだった絵本がかならずしも、当時の自分に連れて帰ってくれるわけではない。懐かしい気持ちはあるものの、それとはまた違う。それとは反対に、自分が親になってから初めて出会う絵本が、なぜか幼い日々を思い出させてくれたりもする。かこさとしさんの絵本は私にとってどれもそんな作品ばかりである。

かこさんの生前、雑誌の取材でご自宅を訪問しました かこさんの生前、雑誌の取材でご自宅を訪問しました

 小さいころから「ぬき足さし足しのび足」で歩くのはどろぼうと決まっていた。「赤ちゃんを起こさないよう、ぬき足さし足、しのび足で通る」と慣用句で使われたりもするけれど、「ぬき足さし足しのび足をするのはどろぼう!」というのが小さいころの常識だった。

 語呂がいいのもあり、友達とどろぼうごっこをするときには、リズムをつけながらそのフレーズを笑いながら繰り返し言い合っていた。だから大人になった今でも、この慣用句を見ると無意識にどろぼうを連想してしまう私。子どもに読み聞かせをするために、数十年ぶりに「どろぼうがっこう」を開いたときの心の高ぶりはすごいものだった。

 「そうそう!ここにぬき足さし足しのび足があったのよ!」。かこさんの作品で幼いころ見ていたそのフレーズとどろぼうたちが、物語を離れていつの間にか私の頭の中にセットで定着してしまっていたのだ。

 どろぼうがっこうに出てくる歌舞伎役者のような「くまさかとらえもんせんせい」も、ちょっと頼りなくて憎めないどろぼうたちも、久しぶりに会う旧友のような感じ。「ストーリーテラーのちょっと不思議なふくろうくん、そうそう、きみいたよね」「くまさかせんせいのそのしゃべり方、ちっともかわってないなあ」「あー、自分の家のものは盗んできちゃいけないんだってば。相変わらずだね。」――なんてページをめくるごとにいちいち突っ込みを入れてしまう。

 時代設定はかなり前のものにもかかわらず、そこに古さは一切感じられず、むしろ懐かしさやほっとするものを感じてしまうのがこの作品。とんだ結末になっても、どろぼうたちの愛らしさで笑って終えられる平和な世界。そこに母が読み聞かせをしてくれた優しい思い出も混ざって、いつまでも私にとって大切な「場所」となる絵本になっている。

 もう1冊、かこさんの作品で、当時の状況が鮮明によみがえってくるのは、誰もが一度は読んだことのある「からすのパンやさん」。

 思わず手を止めて、物語を読むのも止めて、見入ってしまうたくさんのパンが描かれたページ。大人になって久しぶりにそのページと再会したとき、思い出したのは、近所の病院の待合室にいた小さい私。同じように、そのパンのページを食い入るように見つめて、「ペンギンパンがいいなあ」「でもパンダパンも食べたい」「かたつむりパンの殻の中はやっぱりチョコクリームかな」と、背中に日差しの暖かさを感じながら、長い待ち時間を母と一緒に待つ私。待合室に置いてある絵本のページの端はヨレヨレだし、決して綺麗とは言い難いけれど、それがとんでもなく魅力的に見えて、いつも病院に行くたびにその本を引っ張り出していた。そんな些細なシーンが一気に思い出される。

 もちろん、うちの子どもたちも、そのページにくると「ちょっと待った!」コールがかかる。相撲好きの8歳の長男はちゃんこ鍋から連想しておなべパン一筋。一方、自由人の5歳の次男は、きょうりゅうパンだったり、サボテンパンだったりと、その日その日で変わる。「ママはー?」と聞かれ、やっぱり私も選ぶたびにウキウキしてしまう。現実にはもっと美味しそうで素敵なパン屋さんはたくさんあるのに、なぜかこっちの描かれたパンを選ぶほうがテンションが上がってしまう。これがかこさんワールドなのだ。

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