要するに、マツダの言葉をより分かりやすくすればこういうことだ。「ロードスターはライトウェイトスポーツでなければならない」。ハイパワー志向に走れば、エンジンもボディも大きく重くなり、大径幅広タイヤを履いてと、雪だるま式に大きく重くなる。そしてもっとパワーが欲しくなる。果てなき拡大の道が待っているのだ。そういう上昇志向のクルマを否定はしないが、それはロードスターではない。思い返して見ればユーノス・ロードスターが登場した時、マツダには兄貴分のRX-7があった。あれはライトウェイトスポーツではなく、ミドルスポーツだった。
現在、ライトウェイトとミドルスポーツの分水嶺は概ね2リッターにあると見て良いだろう。RFは今、ハードトップの流麗なクーペスタイルと2リッターエンジンによって、その分水嶺ギリギリのところにいる。人によってはライトウェイトだと言い、別の人は「いや、あれはもうミドルスポーツだ」と言うだろう。
しかし、ミドルスポーツだったらどうだと言うのか? ここ30年のスポーツカーマーケットを見ると、ずっと継続してファンがいるマーケットは2つだ。それはV8以上のパワートレーンを搭載するスーパーカーのリーグ。そして2リッター以下のライトウェイトスポーツのリーグだ。ミドルスポーツはかつて確かに盛り上がったが、今では絶滅に近い。
ライトウェイトは釣りでいう鮒のようなもの。だから「ライトウェイトに始まってライトウェイトに終わる」人がいる。行き着くところまで行きたい人は、財力さえ伴えばスーパーカーに行くだろう。つまり何十年もずっとライトウェイトに乗っている層は一定数いるし、同じくスーパーカーに長らく乗っている人もいる。しかし、ミドルスポーツは、そこに入学し、進級し、卒業していくものだと思う。クルマはどんどん大型高性能化し、やがてコスト的にも性能的にも手に負えなくなる。だからずっと乗っている人がほぼいない。
ロードスターは、今まさにそのライトウェイトの世界の中心にいる。そういう伝統をマツダは時間をかけて作ってきたのだ。そのサンクチュアリを捨ててまで上昇志向にならなければならない理由はないように思う。
もちろん大排気量エンジンを積む傍流バリエーションがあってはいけないとまでは言わないが、やはりロードスターの本質は、衆目の一致するライトウェイトであり続けるべきではないのか? マツダがソフトトップモデルへの2リッターエンジン搭載を否定し続ける理由は多分そこにあるのだと思う。
ではRFならなぜ良いのか? RFはやはり本流ではないし、GTの要素が大きい。重量もソフトトップより100キロ重い。一方で、その重量を冷静に見れば先代のNCロードスターの最軽量モデルとほぼ同等であるとも言える。だから決してスポーツカーとしてレベルが低いものではないが、やはりライトウェイトスポーツとして見れば限界ラインに近く、純粋さという意味ではソフトトップには敵わない。
RFに乗るとトルクが太く、遮音がしっかりしていて、おまけに流麗なクーペ的スタイルのおかげで、屋根を閉めたままでも気後れすることがない。「雨以外は開けて走れ」という昔ながらのオープンカー乗りの掟のプレッシャーからも解放される。そういう地味な安楽さを積み重ねた違いは筆者のようなおっさんにはとても快適で、そういう世俗のスパイスがまぶされた(それを大人のスポーツカーとも言う)RFだから、分水嶺上の2リッターユニット搭載が許されるような気がする。
きっとマツダの人もソフトトップに2リッターを積むことが絶対に嫌だとは言うまい。ただベストのユニットとして徹底的に考えて用意した1.5があることは彼らの中では極めて重い。
また、売り出してしまえば、あとは市場まかせになる。もしかしたら台数的に2リッターが主流になってしまうかもしれない。傍流バリエーションであればともかく、本流が2リッターになれば、ロードスターというクルマそのものが分水嶺を越えてライトウェイトスポーツではなくなるかもしれない。
そういうニーズを受け止めるためには、やはりロードスターの上には本当はRX-7があるべきだと思う。ない物ねだりとは思いつつ、そう思わずにはいられない。
1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。
現在は編集プロダクション、グラニテを設立し、自動車評論家沢村慎太朗と森慶太による自動車メールマガジン「モータージャーナル」を運営中。
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