NHK大河「麒麟がくる」明智光秀の意外な“危機管理能力”と本能寺の変の真相――時代考証担当の研究者が迫るビジネスにも通じるリーダー論(1/5 ページ)

» 2020年03月15日 07時00分 公開
[小和田哲男ITmedia]
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編集部からのお知らせ:

本記事は、書籍『戦国名将の本質 明智光秀謀反の真相に見るリーダーの条件』(著・小和田哲男、毎日新聞出版)の中から一部抜粋し、転載したものです。テーマは今回のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」主人公の明智光秀。ビジネスにも通じる彼の危機管理能力やリーダー論について、同ドラマの考証や「歴史秘話ヒストリア」などの解説も務めた戦国時代史研究の第一人者である筆者が迫ります。


 2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公だ。

 光秀は主君、織田信長を討った謀反人、裏切り者というイメージで語られている。だが、それは必ずしも事実とは言い難い。

photo NHK大河ドラマ「麒麟がくる主人公」の明智光秀(NHK公式サイトから引用)

秀吉より信長に信頼された男、光秀

 本当の光秀像を後世に伝えなければという、歴史家の使命感みたいなものを私は感じている。これは光秀同様に私が長年研究してきた石田三成や今川義元にも共通することだが、敗者であり、世間から「ダメ」という烙印(らくいん)を押されてきた武将の、真の姿を描き出したいと常々思っている。

 中でも、明智光秀には特にシンパシーを感じてしまうのである。

 明智光秀は羽柴秀吉と並んで、信長を支える家臣であった。信長の家臣にはもちろん、柴田勝家や、丹羽長秀といった有力な武将が他にもいた。だが、信長が本当に信頼した武将は、光秀と秀吉の2人だけであった。

 歴史とは、常に勝者が書くものである。後世にはそうした信長が信頼した武将という光秀の姿はあまり伝わらなかった。むしろ、秀吉による光秀討伐を正当化するため、光秀は謀反人であり、それを討伐した秀吉の偉大さ、天下人たるエピソードばかりが語り伝えられている。

 事実は逆である。信長は秀吉よりも、光秀を信頼し、期待を寄せていた。

 柴田勝家が北陸方面、秀吉が中国方面と、各武将の担当する地域を決めた際、信長のお膝元である「京都」とその周辺、すなわち「丹波」「摂津」「大和」を任せたのは、秀吉でなく、光秀とその与力(よりき)大名だった。

 つまり、光秀は信長家臣団の中で、序列筆頭だったのである。

 信長が光秀をそれほど信頼していたことには、理由がある。

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