オープンソースの世界での通貨は反響?――OSS RoundupにてOSS Roundup Report(1/2 ページ)

先月行われた「OSS Roundup」を質問ごとに紹介するこの企画。今回の質問は、寄せられた質問の中で最長のもの。いくつかのポイントに分けて見てみよう。

» 2005年07月08日 01時51分 公開
[西尾泰三,ITmedia]

質問:オープンソースについて「ソースが公開されている」「世界中の人たちが開発に加わる」ということをメリットとして伝える記事・番組が多い。ソースが公開されていても追う人がいなければリスクが増大するといった問題や、世界中の人たちが開発に加わっても責任を取る人がいなければ烏合の衆と一緒といった点はあえて伏せられているようである。また、職業プログラマーと兼任している開発者に限って言えばオープンソースの開発は業務で得た知識を、無断で社外に持ち出すことになり、職業倫理に反する面もあるかと思うが、そういう点も触れられることが無い。現在のオープンソースの紹介は提灯記事より性質が悪く、ある意味詐欺に近いと思うのだが、一線で活躍している人はどう考えているのか

佐渡 これは今回寄せられた質問の中で一番長い質問ですね。いくつかの文脈があるので、切っていったほうがいいですかね。

小飼 要はオープンソースのいい点ばかり紹介されているので、陰の部分をもっと公平に扱ってほしい、ということでしょうか。

山根 土台の部分としてオープンソースが強いというのはあるかもしれないですが、やはりオープンソースはコミュニティーがしっかりしているとか、人材のプールをちゃんと育成している、ということも含めないとオープンソースというのは言えないというのをまず理解して欲しいですね。

小飼 これはある番組で話した内容の蒸し返しになりますが、基本的にオープンソース・ソフトウェアというのは、何か問題が起こったとき誰が責任をとるかといえばそれは使う人。ここは少しだけ強調しておきたいと思います。

八田 その代わり無償じゃない場合にはサービスを提供した側が責任を有償で引き受けることになるわけです。コンサルタントなのかシステムを納入するのかは分かりませんが、何かやるのであればその企業が責任をとるわけで、そこに会社組織の意義みたいなものがあると僕は思います。

佐渡 少し視点を変えると、ソースを公開すると世界中の人たちが開発に加わると思われているのかなという気がしますね。これ、ひょっとしたらバザール開発とオープンソースを混同しているのでしょうか。たしかにエリック・レイモンドの論文にもあるように、世界中の人の目が開発に向けられるメリットはありますが、基本的にオープンソースの場合、ある程度のプログラミングの技量といった共通の土台があって、その上で価値観や目的が違った人たちが同居できるわけで、まったく共通の土台がない人たちが集まってできるわけでもないというのが抜けているのかもしれませんね。まつもとさんはどうですか。

まつもと オープンソースにしたからといって世界中の人たちが加わるわけでもないので、そこばかり強調するのもどうかというのはありますね。でも公開しなければそうした開発形態も取れないわけで。0と0かもしれないものを比較してもしょうがないでしょう。

八田 非常に冷たいことを言うと、オープンソースにしても誰も開発に加わってくれないとしたらそれは需要がないということかもしれない。Rubyも需要がなければ誰も使ってくれないということもあり得たわけで。そういう市場原理のようなものが働いていることは考えられる。

小飼 その市場原理を支配するための通貨に相当するものは何かを最近よく考えるのですが、これは反響ではないでしょうか。それが世の中にとって有用だったり、それが面白いものであれば当然反響がありますよね。僕にとってのオープンソースは社会との対話なんです。だからあまり面白いことを言わなければシカトされてそのオブジェクトは自然消滅していくわけで。

オープンソースと職業倫理

佐渡 気になったのが「職業プログラマーと兼任している開発者に限って言えば」で始まる文脈です。業務で得た知識をオープンソースの開発に生かすのは職業倫理に反するのでは? ということですけども、これどうでしょう。たしかにこれに近い事例を知らないわけではないですが。まつもとさんが前職を辞められた経緯というのは……ひょっとしてこういうことなんでしょうか(笑い)。

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