Windowsが日本で“離陸”した日温故知新コラム

「うわぁ懐かしい〜 !」IT 業界に長年おられる人なら、思わずこう叫んでしまいそうなこの写真。パネルに大きく掲げられているように「Windowsコンソシアム設立発表会」と銘打った記者会見のひとコマである。

» 2006年07月06日 02時17分 公開
[松岡功,ITmedia]

 時は1989年8月2日。都内ホテルで行われたこの発表会のひな壇に上がったのは、当時の肩書きのままで紹介すると、左から東京電機大学の脇英世助教授、ソフトウィングの樺島正博会長、ソフトウェアジャパンの昆野晴暉社長、日本ソフトバンクの孫正義社長、マイクロソフトの古川享社長、ジークの福井源社長の6人。

 日本ソフトバンク、ソフトウェアジャパンなど当時パソコンソフト流通会社として有力だった4 社に加え、Windowsの提供元であるマイクロソフトの代表者が一堂に揃い、この会の仕掛け人でもある脇氏とともに共同会見に臨んだこの日は、まさしく「Windowsが日本で“離陸”した日」となった。

 上記5社が発起人となって設立されたWindowsコンソシアムは、日本のパソコン市場においてMicrosoft Windows環境の普及に向けたマーケティング活動や技術情報の交換などを行うことを目的とした業界団体である。この会が設立された背景には、当時はまだパソコン用OS というと「MS-DOS」が主流で、そのグラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)としてマイクロソフトが新しく提案していたWindowsが市場になかなか受け入れられない状況があった。「異機種のパソコンでも同じソフトを利用できる」という、当時のパソコンにとっては画期的な利用環境の出現だったが、当時Windows のもとで利用できたのは、画面写真にあるマイクロソフトの表計算ソフト「Excel」など20本程度。いかんせん対応ソフトがなかなか出揃わなかったのである。

 そこで、そうした閉塞状態を打破しようと動き出したのが、マイクロソフトと上記のソフト流通会社4社だった。この会見でマイクロソフトの古川氏は「従来コンソシアムというのは、プロダクト面で何らかの同じ目的を持った企業が集まって活動するといった形態が多いが、このコンソシアムはパソコンの利用環境をより快適にするWindowsをどのように世の中に広めていくかというマーケティング主導型であるのがユニークなところ」と力説。また、すでに当時からソフト流通最大手として名を馳せていた日本ソフトバンク(当時)の孫氏も「流通会社が積極的にプラットフォームづくりに参画するのが、この会の大きなポイントだ」と強調した。

 かくして初代会長には孫氏が就任。設立前までに集まったプレメンバーは158 社。本格的な活動が始まると、ソフトメーカーを筆頭に、そのほか周辺機器を含むハードメーカー、ディストリビューター、販売店、VAR、さらには企業ユーザーにまで会員は広がり、一大業界団体へと発展。Windowsが日本市場に根付く原動力となった。

 Windows というと、一般的には1995年秋に登場した「Windows95」が大ブレークして世の中に定着した印象が強いが、企業ユーザーにはその前のバージョンである「Windows3.1」がクライアント向けに、また「Windo wsN T」がサーバ向けに、着実に定着しつつあった。それが90 年代初頭から一大ブームを巻き起こした「クライアント/サーバシステム」の礎となったことは周知の通りだ。

 そのWindows 環境も、最近ではクライアント/サーバシステムのさまざまなデメリットを解消した「サーバ・ベースト・コンピューティング」を指向する気運が高まる中で、アーキテクチャの見直しを迫られている。そう考えるとコンピュータシステムというのは、ネットワークとの融合形態の変化とともに、「集中」と「分散」を繰り返す宿命にあるのかもしれない。

 ちなみに、Windowsコンソシアムは今も存在しているが、同会のホームページによると、ひと頃の賑やかな活動からは鳴りを潜めているようだ。しかし、この団体が果たしてきた役割は、表向きの活動もさることながら、日本のIT 業界の横断的な人的ネットワークを築いた意味でも大きなインパクトがあった。

 それにしても今から16 年前の写真なので当たり前のことではあるが……孫さん、古川さんをはじめ、皆さん、お若い!

このコンテンツはサーバセレクト2005年4月号に掲載されたものを再編集したものです。


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