「どうして頑張るの?」に答えられるか企業にはびこる間違いだらけのIT経営:第23回(1/2 ページ)

「頑張る」という言葉は死語ではない。しかし動機づけと具体的な方法論を欠いた「ガンバリズム」を部下に押し付けていても成果は上がらない。上手に「頑張る」チャンスを与えるにはどうすればよいのだろう。

» 2007年01月23日 09時00分 公開
[増岡直二郎,アイティセレクト]

 「方法論」の欠如が、世の中に氾濫している。だから、事態は変わらない。

 頻発する目を覆うばかりの子供の凶悪犯罪に対しては「命の大切さを教えろ」、子供のいじめ問題に対しては「誰にでも相談しなさい」、企業倫理にもとる事件に対しては「企業の社会的責任を認識しろ」…、しかし総論や抽象論をただ叫び続けても、事態はさっぱり変わらない。事態を変えるためには、どう教え、どう相談し、どう認識するかの議論を大いに興し、方法論を具体的に示し、実行していかなければならない。

人を育てるDNAが組み込まれているか

 経営の世界においても、同じである。特に人材育成のテーマである「勉強しろ」「部下の教育をしろ」「頑張れ」など永年叫び続けられているが、事態はさっぱり変わらない。事態を変えたいなら、方法論の議論をきちんとし、それを実行しなければならない。

 先回の「勉強しろ」に続いて、今回は「教育しろ」、「頑張れ」について検討する。

 まず「教育しろ」についての方法論である。従業員の教育体系は、企業の大小に関わらずほぼでき上がっている。しかしここで取り上げるのは形になった教育ではなく、企業内で日常的に無形で行われるべき教育である。この雰囲気が企業にDNAとして組み込まれ、企業文化として定着することが望ましい。

 「部下を教育しろ」についての、有効な方法論の実例を挙げよう。

 筆者が経験した「無形」の教育を、まず紹介する。メーカーに就職し製造現場に配属になった青二才の筆者を、周囲が何かにつけて日常業務の中で、ある時は厳しく、ある時は丁寧に指導してくれた。また筆者達は常に課題を与えられて鍛えられ、一方反面教師である場合も含めて、日常的に上司や先輩の言動を見て学んだ。「そういう雰囲気」の中で、幹部候補生として永年教育されたのだろう。そのことに強く気づいたのは、某中堅企業に関わったときである。その企業で社員を幹部や経営者に登用すると、たまたま登用された彼らはそういう雰囲気の中で教育されていないから、幹部や経営者としてどう振舞うべきか、いつまでも戸惑う。「そういう雰囲気」は、とりもなおさず教育の立派な伝統的「方法」である。

 また、ある企業のD部長は、昇給・賞与査定のとき被査定者について査定者に必ず問いかけた、「何某君の長所と短所は何か」、「短所を補うためにどんな教育をしているか」と。部のトップから毎回指摘されるとなると、部下の教育が日常的に頭から離れない。

 他の例として、ある企業のE部長は配下のライン部門の人材と、システム部門の人材をローテーションした。年2人ずつ、2年間コンピュータを経験させた。システムとラインの部門間人材交流は、企業IT化の永遠の課題である。Eはそれを部長権限で強行した。何年か後、ライン部門全員がコンピュータを経験し、システム部門はライン業務を理解した。

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