「マイクロソフト版Java」にサン激怒――解決したのは口止め料?温故知新コラム(1/2 ページ)

世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。

» 2007年09月05日 07時00分 公開
[大河原克行,ITmedia]

このコンテンツは、オンライン・ムック「運用管理の過去・現在・未来」のコンテンツです。関連する記事はこちらでご覧になれます。


サンのJavaは100%純正!

 1997年10月14日、日本サン・マイクロシステムズ(現サン・マイクロシステムズ株式会社)は、100% Pure Javaに準拠したJavaアプリケーションの開発、マーケティング、販売支援を行う支援プログラム「100% Pure Java Initiative」を日本で開始すると発表した。

 今となっては「100% Pure Java」という呼称自体にも違和感があるが、当時、マイクロソフトがWindowsプラットフォーム向けにJavaの仕様を改変した、いわゆる"マイクロソフト版Java"を発表していた。具体的には、「Internet Explorer 4.0」と「SDK for Java1.1」において、JNI(Java Native Method Interface)やRMI(Remote Method Invocation)のサポートを行わず、さらに独自にAPIの拡張および削除を行い、Windowsプラットフォームでのみ動作するようにしたのだ。

 これに対して、Javaの開発元であるサン・マイクロシステムズは強硬な姿勢で臨んだ。Javaロゴの使用停止をはじめ、この100% Pure Javaという呼称を前面に出すことで、マイクロソフトのJavaを「偽物」と断定する強い意志を示したと言ってもいいだろう。

 日本での記者会見に合わせて、米サン・マイクロシステムズからはスコット・マクニーリ会長が直々に来日して出席。さらに、日本サン・マイクロシステムズからは本田敬吉会長(当時)が登壇。

スコット・マクニーリ会長と本田敬吉会長(当時)

その横には、日本IBMの北城恪太郎社長(当時)をはじめ、アップル、シマンテック、ジャストシステム、日本オラクル、日本ネットスケープ・コミュニケーションズ、ノベル、パワーソフト、ボーランド、ロータスの主要幹部が顔を揃え、サンが推進する100% Pure Javaへのコミットメントを表明してみせた。

1997年10月14日にホテル・ニューオータニで行われた「100% Pure Java Initiative」の記者会見

 実は、この会見を直前にした10月7日、米サンは米マイクロソフトをJavaのライセンス違反で提訴したばかりだった。それだけに、会見でもこの提訴に関する質問が相次ぎ、それに答えるマクニーリ会長の言葉にも勢いがあった。それこそ、"待ってました!"とばかりに、マクニーリ節とも言える、氏によるマイクロソフト攻撃の独演場となったのだ。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ