オープンソースコミュニティーと協働するということは、適応して自らを変えようとすることである。アゴで使おうなどと考えれば、賛同など得られるわけがない。
2005年10月11日、プロプライエタリソフトウェアベンダーのXaraが、同社の主力製品であるベクタグラフィックス用パッケージXara Xtremeのソースコードを公開する計画と、開発者コミュニティーの協力を得てLinuxに移植する計画を発表した。それから2年が過ぎた現在、同プロジェクトは停滞していて存在意義が失われかけている。その理由は主に、Xaraがオープンソースコミュニティーと協力し合う方法をつかみきれなかったためだ。
Xara Xtremeのソースコードは、2006年3月にフランスのリヨンで開催されたLibre Graphics Meetingの開会式で公開された。この時のリリースはバージョン0.3で、その後数カ月の間に、それに続く数バージョンがリリースされている。最後にリリースされたバージョンは、2006年8月にリリースされたバージョン0.7だ。
Xaraとボランティア開発者コミュニティーは重大な点、すなわちXara XtremeのコアレンダリングライブラリであるCDrawのソースはクローズドのままにするというXaraの決定について、ほぼ最初の時点からずっと意見を衝突させてきた。開発者たちは再三に渡って、「半分オープン、半分クローズド」という状態のアプリケーションには協力できないと主張してきた。
しかしXaraは、公開した部分のコードだけで十分なはずであり開発者コミュニティーは開発時間を寄与しておらず約束を守っていないと主張し、開発者コミュニティーの意見を聞こうとしなかった。
2006年の秋にはXaraは同社の開発者をオープンソースプロジェクトから撤退させて、同社の「ドル箱」であるWindows用製品の次期メジャーリリースに全力を傾けるようになった。
その後すぐにXara Xtremeのメーリングリストは、コード自体についての建設的な話し合いではなく、オープンソースプロジェクトとしての存続可能性についての議論で埋め尽くされてしまった。このメーリングリストに投稿された2007年8月29日のメッセージの中でXaraのチャールズ・モイア氏は、XaraのプログラマーはオープンソースプロジェクトのXara Xtremeにはもう取り組みんでいないとはっきりと述べて、オープンソースコミュニティーにその後の責任を押し付けた。
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