コラム
» 2009年02月01日 05時00分 UPDATE

日曜日の歴史探検:GUI革命を先導している男と先導しかけた「alto」

「マウスでアイコンをクリック」――今でこそ理解できる言葉ですが、それは、1人の男の長く続く革命の成果でもあるのです。1973年に開発された「alto」はその後多くの伝道師を生み出すことになります。

[前島梓,ITmedia]

 画面上のアイコンをクリック――現代では多くの人にとってあまり違和感のないこの言葉ですが、そこにはGUI(グラフィカルインタフェース)とマウスなどのデバイスの存在が欠かせません。もともと軍事的な利用を目的に開発されたIT。それを一般の人でも簡単に利用してもらうにはどうすればよいのか。今回は、1973年に開発された「Alto」というパソコンの裏側にあった、1人の革命があったのです。

tnfig1.jpg 35年以上前に開発されたAltoは今のパソコンとさほど変わりません。インタフェースというのはあまり進化していないのでしょうか(イラスト:架空の姉

GUI革命を先導した2人の男

 現在、わたしたちが使っているパソコンには、ほぼ間違いなくマウスが用意されています。キーボードでコマンド直接打ち込んでコンピューターを操作していた時代から、マウスで画面上のオブジェクトを移動させたり、クリックやドラッグといった操作したりできるようになっています。コンピューターのあり方を大きく変えたマウスは、1961年にダグラス・エンゲルバートによって発明されました。

 この数年前の1957年には、当時のソビエト連邦が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。いわゆる冷戦時代でしたから、先端技術分野でソビエト連邦に後れを取ることは許されず、ソビエト連邦に対する危機感は「スプートニク・ショック」と呼ばれるような言葉で表現されていました。米国国防省内に作られた「高等研究計画局」(ARPA)は、先端技術の促進を目的に、多くの研究機関を支援していましたが、その中の1つにスタンフォード研究所があり、その研究所にいたのがエンゲルバートです。

Alto Alto。これは初期型からメモリを少し増量したAlto-II(写真:Wikipedia)

 エンゲルバート自身は、科学の力は一般市民の生活やコミュニケーションに役立てるべきであると考えていたようで、ARPAの支援を受けながら、ディスプレイ上ののカーソルを自在に操るポインティングデバイスとしての「マウス」を考案、また、ウインドウという区画を画面上に設けることで、マウスと組み合わせて直感的な操作を可能にしました。現在では当たり前の話に聞こえますが、アルファベットや記号の羅列でしかなかったプログラムが、こうした発想によって「パソコン」へと少しずつ進化を遂げようとしていたのです。

 この進化を恐ろしい勢いで加速させたのが、当時ユタ大学の大学院生だったアラン・ケイ。アラン・ケイといえば、当時は巨大で高価なシステムを複数で共有するのが当たり前だったコンピュータが、いずれは誰にでも簡単に使える「パーソナルコンピューター」つまりパソコンになると予見し、それに相応しいコンピュータ環境がどうあるべきかを考えた人物です。彼の考えは「Dynabook」構想と呼ばれることもありますが、エンゲルバートが開拓した道を真っすぐに突き進んでいくことになります。

 それから数年、高等研究計画局でエンゲルバートらを支援していたボブ・ティラーが複写機ベンダー「ゼロックス」の研究機関「ゼロックス・パロアルト研究所」の所長に就任、その下に集まったのが、アラン・ケイをはじめとする新進気鋭の開発者たちでした。昨今のWeb業界で言えば、サイボウズ・ラボが似たような存在でしょうか。アラン・ケイはこの場で自らの構想を現実のものにするだけのリソースを得ます。

 アラン・ケイが当初考えていたDynabookは、現在でいうノートパソコンに近いものでしたが、パロアルト研究所では、Dynabookのコンセプトをデスクトップパソコンという形で作り上げました。それが、「Alto」です。当時の技術で実現可能な範囲でDynabook構想を具現化したのがAltoであるともいえ、「暫定Dynabook」などと呼ばれることもあります。暫定でないDynabookは何かを考えたい場合は、OLPCなどを検索するのもよいでしょう。


azusa01.jpg Altoではこのような感じで画面が表示されていました。色数以外は現代とほとんど同じですね(画像:The Smalltalk-76 Programming System - Design and Implementation)

現在でいうOSに相当するのは「Smalltalk」と呼ばれるオブジェクト指向プログラミング言語でした。Smalltalkはその後、Squeakのようなオープンかつ拡張性に優れた実装も登場しているので、プログラミングをしている方であれば聞いたことがある方も多いでしょう。「マウスでディスプレイ上のアイコンをクリック」のような操作を可能にしたAltoは、まさに誰にでも簡単に使える身近なコンピュータとして、後は製品として世に送り出すだけでした。

 しかし残念なことに、これだけの素晴らしい発明をゼロックスの経営層は十分に理解していませんでした。本業の複写機ビジネスより大きなビジネスには成長しない、と判断したのかもしれません。いずれにせよ、Altoが市販されることはありませんでした。そのため、一般消費者向けに販売された世界初の個人向けコンピュータは、1974年12月に発売された「Altair 8800」とされています。しかし実際には、Altoは1973年にはプロトタイプが稼働していたことから分かるように、ずっと以前に誕生していたのです。Altoとは異なり、キーボードもマウスもなく、GUIと呼べるようなものも用意されていないAltairに世界中から注文が殺到する様子は、パロアルト研究所の人間からすれば理解できない世界だったに違いありません。歴史は結果がすべてですので「たられば」は意味がありませんが、Altoが市場に投入されていればと思うと非常に残念な経営層の判断でした。

 そうした現実に絶望したのでしょうか。しばらくするとアラン・ケイはパロアルト研究所を去ってしまいました。唯一の救いは、AltoやSmalltalkに詰まったアラン・ケイたちの熱い思いに触れた人間がいたということです。同研究所を訪問しAltoやSmalltalkを目にした人物には、若き日のスティーブ・ジョブズなども含まれていました。アラン・ケイのまいた種は、そうした伝道師たちの手によって開花させていくことになるのです。それが今日のWindowsやMac OS、そのほか多くのGUIに与えた影響は図りしれません。

 つい先日、京都大学はアラン・ケイに名誉博士号を贈ったことを発表しましたが、これも彼の業績がいかに偉大なものであったかを示す1つの例と言えるでしょう。

 そんなアラン・ケイの有名な言葉を1つ紹介し、今回は終わりとしましょう。個人のためのコンピュータを考え続ける「パソコンの父」の言葉、皆さんはどうとらえるでしょうか。

 「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。未来はただそこにあるのではない。未来はわれわれが決めるものであり、宇宙の既知の法則に違反しない範囲で望んだ方向に向かわせることができる

毎週日曜日は「日曜日の歴史探検」でお楽しみください


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