9万9800円という価格を印象づけたCMが10年ほど前にお茶の間をにぎわせました。そう。オペラ調に「しまったー」と始まるアレです。今回は10年ほど前のソーテックを見てみましょう。
10年ほど前のある時期、まだ今ほどテレビが存在感を失っていなかったころ、「しまったー」と無駄にオペラ調なのが少し鼻につくテレビコマーシャルが毎日のように流れていたのをご記憶の方はそれくらいいるでしょう。そう、ソーテック(SOTEC)のテレビコマーシャルです。筆者も正確には記憶していないのですが、「しまったー! 9万9800円のパソコンなんてどう考えても安くしすぎた! うっかり、してました」みたいな感じだったと思います。
ソーテックはその後、芸能人を多用したテレビコマーシャルを多く流していますが、ソーテックのテレビコマーシャルといえばこれを思い出すのはわたしだけではないはずです。残念ながらインターネット上で当時の映像を見つけられなかったのでここでは紹介できませんが(もしご存じでしたらぜひお知らせください)、当時、かなりのインパクトがあるテレビコマーシャルだったと思います。
ソーテックの歴史は、1977年の工人舎創立にさかのぼることができます。アマチュア無線を趣味としていた大邊創一氏が、父親である大邊工平氏の力も借りて創業した工人舎は、もともとアマチュア無線メーカーとして出発しました。しかし、なぜか8ビットマイコン「HORIZON」などの輸入も行うなど、コンピュータの世界にも目を向けていました。
1984年に工人舎を離れ、ソーテックを創業した大邊創一氏は、翌年、16ビットLCDポータブルコンピュータ「PHC-16」を発売しています。その後に、ラップトップ型の「SPARK」や「F-1」なども発売していたりしますが、筆者はPHC-16の発売がある転換点だったように思います。液晶ディスプレイにバックライトをつけたことなども大きいのですが、IBM PC互換機(実際には完全な互換でもありませんでしたが)であるPHC-16を創業間もないベンチャーが発売したことは、オープンアーキテクチャを採用する有効性をいち早く示したものと見ることができます。当時、独自仕様で突き進んでいたNECには開発スピードの面で脅威となりました。NECとソーテック、歴史が流れた現在から考えればまるで大人と子どもの戦いですが、当時はそれなりに勝算があって向かっていったのです。筆者はNECのPC-9800シリーズの牙城を崩した立役者の1人としてソーテックを挙げてもよいのかなと思っています。
もっとも、風向きが常に追い風とは限りません。Windows95が発売された前後は、その安さも手伝って大幅に売り上げを伸ばしていたソーテックですが、それに伴ってサポート面の弱さなどが指摘されることが多くなりました。また、財務面で見ても多少足腰が弱い印象があったのですが、しばらくすると、キョウデンの子会社となってしまいました。
ただ、このことが第2の転換点となりました。体勢を立て直したソーテックは1998年9月、「Micro PC STATION」シリーズを発売したのです。安価なデスクトップでも20万円近くしていた当時、9万9800円という価格は衝撃でした。冒頭に登場したテレビコマーシャルが毎日のように流れていたのもそのころです。このころ、筆者の周りでも「安いから」と母親などに買ってあげていた友人がたくさんいる一方で、「安かろう悪かろう」と話す友人もいました。
その勢いの中、翌年には、アップルコンピュータ(現アップル)が発売していたブラウン管の一体型PC「iMac」にそっくりな青いアレ「e-one 433」(CPUがCeleron 433MHzだったんですよね)を市場に投入しています。ちなみに、このときのHDDは8.4Gバイトでした。当然のようにすぐにアップルコンピュータから提訴され、e-one433の製造販売を禁止する旨の仮処分決定が下りました。これは後にソーテックが和解金を支払うことなどで終わりを迎えるのですが、当時は銀色に色調を変えた「e-one 500」を仮処分決定が下った直後に発表するなど、いろいろと物議を醸していたりして、外野としては「いいぞ、やれやれ」といった感じで見ていたように思います。そう思ったのは、「iMacもPHC-16のパクりじゃないの?」と感じていたためであるのは秘密です。
その後しばらくすると、ソーテックが話題になる機会は急速に減っていきました。2002年には、新聞を数日間ジャックする形でソーテックの広告が掲載されたのをご記憶の方もいるかもしれません。そう、新聞という公の場で、大邊氏が社員に対する手厳しい言葉を並べていたあの広告です。ご存じない方に、ある日の広告を引用します。
全国ソーテック社員に言いたいこと。一昨年ソーテックは念願の上場を果たしました。しかしながら、そのことが皆さんの気持ちに弛緩を生み出していないか、再度見つめ直してほしい。なんだか妙な形式主義、組織主義が生まれ出して、我が社は窮屈になりました。会議の時間は長くなり、ものごとひとつ決めるにも書類の枚数ばかりが増え、即断即決で動き回る幹部も見えなくなりました。我々は、永久にベンチャーでありたい。減点主義ではなく、成功主義である。おそれるな。やんちゃであれ。抜け駆けをせよ。これは私自身への叫びでもあります。私も技術者精神に立ち戻りました。モノはヒトの心が生み出すもの。奇抜なアイデアをどんどん形にして、また世の中をあっと言わせましょう。株式会社ソーテック 大邊創一
同時期、貧弱と言われていたサポート体制の強化にも努めていたりしますが、ここでは詳しくは述べません。そして、月日は流れ2007年7月。ソーテックはオンキヨーの子会社となりました。なぜオンキョーが、と思われるかもしれませんが、アナログからデジタルへと時代が変わっていく中で、オンキョーも変化を求められていました。新たなユーザーを取り込むために、ホームシアターなど新たなライフスタイルを提案していく中で、PCとの連携に目をつけてのことだろうと推察されます。ソーテックの買収がオンキヨーに与えたものを現時点で論ずるのはまだ早いかもしれません。しかし、きっとこの瞬間も、オンキヨー、そしてソーテックの人間は、次のチャンスを狙って牙を研いでいることでしょう。
一方、ソーテックの前身として紹介した工人舎ですが、再びその名をよく目にすること増えてきているのではないかと思います。ネットブックでも独自のポジションでファンを持つ「KOHJINSHA SAシリーズ」を提供しているベンダーです。この工人舎の創立者は大邊創一氏。そう、大邊氏はソーテックを離れた後、かつて父親と立ち上げた社名を冠した企業を再び立ち上げたのです。ソーテックとの資本関係もありませんし、その起業もソーテックと合意していますので、まさに新たなスタートです。工人舎が掲げる「Next PC Life」が新たな変化の胎動となるのでしょうか。
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