コラム
» 2009年02月15日 00時00分 UPDATE

日曜日の歴史探検:「音の壁」の向こうから生還したチャック・イェーガー

1940年代、軍用機パイロットが恐れていた悪魔「音の壁」。その壁の向こうに人類ではじめてたどり着いたチャック・イェーガーは、「自分の義務を果たしただけ」と偉業を振り返る最高にダンディーな人物です。

[前島梓,ITmedia]

 オリンピックを持ち出すまでもなく、人類というのは常に記録を塗り替えようと挑戦を続ける存在です。記録への挑戦こそが人類の進化そのものといってもよいでしょう。これまで取り上げてきたトリエステ号しかり、ピギーバック衛星で宇宙に挑戦する高専生しかり。

 今回は、「Xの時代――宇宙を進むスペースプレーン」でも少し取り上げた米国実験機・記録機シリーズ「Xプレーン」の中でも、最初の機体と位置づけられる「ベル X-1」(音速突破時点での名称はXS-1ですが、本稿ではX-1と記述します)が音速の壁を超えた時代に戻ってみましょう。

パイロットを襲う悪魔「音の壁」

 時代は1930年代。軍用機の速度を飛躍的に高めるべく、多くの研究開発が行われた時期。彼らの前に悪魔が降臨しました。「音の壁」です。戦闘機のパイロットたちの間では、速度が音速に近づくにつれ、空気がまるで固まりのようになる状態があることが伝わっていました。垂直降下など速度を上げ音速に近づいてしまうと、機体は激しく振動し、操縦かんすら動かせなくなり、最悪の場合にはまるで壁にぶつかったように空中分解してしまう現象が多発していたのです。流体力学が発達した今日では、物体の運動の影響が空気中を伝達する前にその物体が先に到達してしまうため、結果として空気が圧縮されることで起こる現象、と簡単に説明できますが、当時はまさに悪魔の領域としてパイロットから恐れられていました。

 逆に言えば、音速を超える機動性を持つ軍用機が開発できれば、他国への強力なけん制となります。1940年代に入ると、ジェットエンジンが開発されたこともあり、この壁を打ち破れる機運が高まってきました。ヘリコプターの製造で成功していたベル社(Bell Aircraft)が、この動きに反応し、音速を超えるジェット戦闘機の開発に名乗りを挙げます。ベル社と米国陸軍、空軍によって開発されていくのがX-1というわけです。

tnfig1.jpg 音の壁を超えたX-1。地上からの声援や歓声は超音速の世界には届きませんが、その思いはチャック・イェーガーに伝わっていたに違いありません(イラスト:架空の姉

課題だらけだった超音速飛行

tnx1.jpg ベル社の「X-1」。エンジンは4基用意されていましたが、音速突破は3基のエンジンを用いて達成しました(写真出典:NASA)

 X-1の開発は設計段階から難航しました。何せ、音速を超える世界の流体力学について十分な知識がない時代だったのですから。彼らは、身近で音速を超えて飛行する物体、そう、銃器の弾丸を巨大化したような胴体を持つ機体を設計することになります。

 機体の設計にはその後も多くの議論が重ねられました。例えば、音速を超える飛行に最適化した主翼は、低速では十分な揚力が得られず、不安定な機体と化します。また、X-1の重量のかなりの割合が燃料であり、そんな不安定な機体を地上から飛び立たせるには、無謀なチャレンジとなります。結果、巨大な戦略爆撃機「B-29」で空中に運び、そこから飛び立たせる空中発進方式が採用されることになりました。これを模型で再現した映像がYouTubeで見られますので、こちらを紹介しておきましょう。

 機体の方は音速の壁を破るため、技術者の知恵が結集しつつありましたが、別の問題も持ち上がっていました。テストパイロットの選抜です。命を失うリスクが非常に高い任務ですから、音速を超えた飛行に成功した場合、パイロットには相当額の報酬が提示されていました。一説には15万ドルとも言われていますが、当時のレートで15万ドルですので、いかにこのプロジェクトが危険であったかはいうまでもありません。ベル社は機体の設計やメンテナンスだけでなく、テストパイロットの確保も任されていましたが、このコストの高さには相当苦慮したようで、結局、米国空軍と陸軍が独自にテストパイロットを選出することになります。ここで起用されたのが、伝説の男、チャック・イェーガー大尉なのです。

 彼は周囲の期待に応え、最高速度の記録を次々と塗り替えていきました。1947年10月10日にはマッハ0.997を記録。そして1947年10月14日、イェーガーがX-1で飛行して通算50回目となるこの日、イェーガーが搭乗するX-1は高度6000メートル付近から飛び立ち、高度1万3000メートル付近で水平飛行を行い、マッハ1.06を記録、人類初の有人超音速飛行を成功させたのです。もっとも、X-1の速度計ではマッハ1までしか用意されていなかったようで、彼自身が1.06を達成したのを知るのは少し後の話ですが。

 その後も彼は最高速度記録を塗り替え続け、1947年11月6日にはマッハ1.36、1948年3月26日にはマッハ1.45を記録しています。マッハ2の記録こそ、スコット・クロスフィールドに先を越されてしまいますが、1953年12月12日、X-1の改良型であるX-1Aでマッハ2.44を記録し、最速の男の称号を取り戻しています。今日では、有人戦闘機に求められる要素が単に速度だけではなくなったことから、旧ソ連のMiG-25が出したマッハ2.8〜3.2が世界最速とされているようですが、チャック・イェーガーの業績は今日でも広く知られています。


 数多くの勇者が挑み、散っていった音の壁の向こうからはじめて生還したイェーガー。現在ではスロットルを前に出せば誰でもその壁を通過できる時代になりました。筆者はある戦闘機パイロットに超音速の世界について話を聞いたことがあります。彼は、「音より早く移動するので、コックピットの中は静かなものだ。そして、目の前に映るのは青い空だけ。地上がいかに不自由であるかを知りたいなら、パイロットになってみるといい。もちろん自分の息子もパイロットにするつもりだ」と語ってくれたことが印象に残っています。静かに、しかし高速に大空を自在に舞うという体験はほとんどの方にとって縁のない話かもしれませんが、そこにはそれまでの価値観を一変させるような世界が待っているのです。皆さんもそんな世界を体験してみたくありませんか?

毎週日曜日は「日曜日の歴史探検」でお楽しみください


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