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» 2011年01月11日 08時00分 UPDATE

リーダーシップと実現力:「立場を利用した命令では人は動かない」 協和発酵キリン・松田社長 (1/3)

研究者としてサラリーマン人生を全うするはずだった――。入社以来、医薬研究に明け暮れていた協和発酵キリン・松田譲社長は54歳にして経営企画室に異動となる。しかし、そうしたさまざまな経験が、後に2社の経営統合を進める上で大きな糧となったのだ。

[伏見学,ITmedia]

 景気低迷、内需縮小が叫ばれる中、事業継続のために日本企業が海外に打って出て行かねばならないのは自明の理である。とりわけ医薬業界においては、かねてよりグローバル競争の荒波にさらされているのに加えて、主力の医薬品が2010年前後に特許切れして各社が収益源を失うという「2010年問題」の危機に直面しており、海外での利益確保や新興国市場の開拓などが急務といえる。

 そうした中、抗体技術など最先端のバイオテクノロジーを基盤とした医薬事業で世界のトップクラスを目指し、新薬の開発、販売をグローバルで展開するのが協和発酵キリンである。同社は、国内はもとより、米国、ヨーロッパ、アジアに多数の海外拠点を持ち、グループ全体で7000人を超える社員を抱える。そのトップリーダーとして経営のかじ取りをするのが松田譲社長だ。

 研究所の組織改革、予期せぬ異動、経営統合――。松田氏のキャリアを振り返ると、現在に至るまでいくつものターニングポイントがある。そこから学んだ経験を1つ1つ積み重ねてきた結果、松田氏は改めて今、組織におけるリーダーシップの重要性を強く感じている。では、いかにして松田氏のリーダーシップは確立されていったのだろうか。

研究所にそびえ立つ悪しき壁

 新潟で生まれ育った松田氏は、勉強はそっちのけで毎日のように野山を駆け巡るといった幼少時代を過ごす。特に「今ではまったく興味が湧かないほど飽きるまで打ち込んだ」と語るほど、魚釣りや虫取りにすべてを捧げていたという。

協和発酵キリンの松田譲社長。リーダーとして今や7000人以上の社員を率いる 協和発酵キリンの松田譲社長。リーダーとして今や7000人以上の社員を率いる

 高校卒業後は地元の新潟大学農学部に入学、その後、さらに研究の道を追求するために東京大学大学院に進む。そこで身に付けた専門性を武器に、1977年、協和発酵工業に入社する。配属されたのは東京・町田市にある東京研究所(現・東京リサーチパーク)。ここで松田氏は人生で初めて「リーダーシップ」に対する憧れの念を抱くようになる。

 当時の東京研究所では、個人の着想を非常に重視しており、メンバーの研究テーマから予算、人事権まですべてを主任研究員が握っていた。こうした組織体制が後に松田氏にとって大きな障壁となるわけだが、入社間もない新人にとって主任研究員はメンバーの研究生活すべてに対して責任を負うような存在であり、「いつか自分もあのような立場で仕事がしたい」と、リーダーシップへの強い意識を持った。

 ところが数年後、松田氏は「組織の壁」が研究の発展を妨げていることに気が付く。それを象徴する1つのエピソードがある。松田氏は微生物から新薬のタネを探し出す研究に従事しており、ある時、抗がん剤開発において有効となる成分を発見する。それを関連する社内の医薬研究所に持っていき評価を依頼したものの、いつまで経っても返事が来ない。そこで松田氏が直接研究所に赴くと、驚いたことに研究所の一方的な判断で手付かずのまま冷蔵庫に放置されていたのである。

 当時の協和発酵は、研究室と研究室、研究所と研究所、そして各事業拠点と本社それぞれの間には大きな壁がそびえ立っていた。研究員同士の連携やコミュニケーションは希薄で、社内で研究成果をフォローする組織体制もなかった。「こんなことをしていたら、絶対に新しい薬など生まれない」と松田氏は痛感する。

「医薬事業全体において、研究はごく初期のプロセスに過ぎない。その後、動物実験による開発・改良、人体への効果と安全性の検証など医薬の完成にはさまざまな手順を踏む。さらに、医薬は単に店頭に並べれば売れるというものではなく、国の規制もあるため、専門性を持った医薬情報担当者(MR)によるサポート体制が不可欠だ。このように組織を挙げて取り組むべき事業なのに、研究部門が個人の着想に固執していては、医薬は前進しない」(松田氏)

 医薬事業を展開する上では、どのような組織が望ましいのか。スポーツに例え、「サッカーやラグビー型のチーム組織」と松田氏は述べる。リーダーとなるべき司令塔を据えるとともに、あらゆるメンバーが知恵を出し合って素早くゴールに到達できるような組織、スタイルが医薬事業においては重要だという。

 さらに松田氏は、医薬事業におけるメンバーの理想的な行動に関して、「いわしの群れのような動き」とも表現する。しかしながら、当時の研究所では、メンバーの動きに一体感がなく、魚がばらばらに飛び散るように動いていたため、松田氏は「いくら時間やお金をかけても効率的な医薬開発、研究などできない」と強く実感する。

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