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» 2011年11月08日 12時00分 UPDATE

オルタナティブな生き方 高橋誠さん:チャンスの生かし方 (1/2)

クイズ常連優勝者からアイドル雑誌の編集者へ、その後米国に渡り出版プロデュースや映画配給を手掛ける――そんな激動の人生を、オルタナティブ・ブログ「点をつなぐ」筆者の高橋誠さんは、偶然訪れたチャンスを生かしてきただけだと言う。

[聞き手:谷川耕一、鈴木麻紀,ITmedia]

 オルタナティブ・ブログ点をつなぐの筆者、高橋誠さんは「過去は変えられないけれど、過去の解釈は変えられる」という。アイドル雑誌編集者、米国での映画祭実行委員長など華やかな経歴を持つ高橋さんは、自分の過去をどのように解釈しているのだろうか。

すべてはクイズのために

takahashi_makoto01.jpg クイズ番組「アタック25」で優勝したときの高橋さん。このとき大学4年生、就職浪人を決めた時期だという。

 高橋少年は子どものころから、チャンスがあればテレビのクイズ番組に出たいと思っていた。高校生のときには、当時人気番組だった「クイズグランプリ」の高校生大会の予選に出場したが、あえなく敗退。対戦相手は最終的に優勝し、後にクイズ10冠王に輝くことになる人物だった。

 その後も、クイズ番組に出たい思いは強くなる一方で、普段からクイズの勉強を欠かさなかったという。「クイズは番組が違っても似たような問題が出ることが多いので、ハウツー本などを使って勉強していました。もちろん、新聞や雑誌にも目を通し、クイズに出そうな記事のチェックは怠りませんでした」と当時を振り返る。大学受験の際に選択したのは日本史と世界史、理由はクイズの勉強になるからとのこと。当時は、何をするのにもクイズありきだった。

 クイズのために蓄積した膨大な知識が役立ったのか、最高学府の東京大学文科一類に現役で合格し、入学後念願のクイズ番組への出場もかなうことになった。挑戦したのは「アップダウンクイズ」。見事10問正解して優勝し、賞金とハワイ旅行を獲得した。

 高橋さんが合格した東大の文科一類といえば、多くの人は法学部に進む。ところが彼が選んだのは教養学部のアメリカ科。その理由も「当時人気を誇っていた『アメリカ横断ウルトラクイズ』に出たかったから」だと言う。しかし、アメリカ横断クイズには何度挑戦しても、東京ドームの第1次予選を勝ち抜く100人に残れなかった。

 大学3年生のころには、友人を誘って「クイズ研究会」というサークルを設立した。他大学にはクイズ研究会があるのに東大にはなかったからだという。このように高橋青年の学生時代は、クイズを中心にすべてが回っていた。

クイズからアイドルへ

 就職活動を行う際も、クイズ番組や書籍を作りたいからとテレビ局や出版社を志望した。しかしこのときはクイズの知識はあまり通用しなかった。希望先への採用には至らず、結果就職浪人を選ぶ。しかし就職浪人期間中に多数のクイズ番組に出られたのだから、この選択は高橋さんにとって貴重なものとなった。「4年生の2月ころ、立て続けに7つくらいのクイズ番組に出場しました。3回優勝、賞品としてパリ旅行などを獲得しました」と誇らしげに語る。

 そしてこのクイズ番組での優勝経験が、2度目の就職活動で役に立つ。優勝経験を十分に自己アピールできた結果、あるテレビ局から内定につながるであろう面接の連絡が来たのだ。有名なクイズ番組を作っているテレビ局ということもあり、同日に面接を予定していた出版社の面接を高橋さんはあっさり断ってしまう。

 するとその後自宅に、出版社の役員から直接連絡が来た。しかも「うちに来てくれるなら、好きな編集部に配属する」との、おいしい誘いまで。このラブコールが来た要因も、クイズのおかげだったと高橋さんは推測する。というのもこの出版社は、マスコミでは珍しく選考時にペーパーテストを行っていた。それがまさにクイズ問題だったので、「ほぼ満点」だったはずというのだ。さすがに満点は、役員の目にとまったのだろう。どこを選んでもいいとまで言われたこともあり、最終的に彼は出版社に就職することにする。その会社が学習研究社、選んだ編集部はアイドル雑誌『BOMB』や『Momoco』を出版するヤング編集部だった。

「歌謡曲は聴いていましたが、特別アイドル好きだったわけではありません。とはいえ、ちょうど私は松田聖子さんと同世代、その下が小泉今日子さんや中森明菜さんというアイドル全盛期で、たまにコンサートに行くくらいはしていました」。

 アイドル雑誌の編集部では、精力的に仕事に取り組んだ。人気が出る前のアイドルに取材し記事にする。次は誰を取り上げるか企画し、次々と特集を組んでいく。「この子は売れるなぁと思った子は、結局人気が出ることが多かった。やはり、光るものがあるというか、オーラがあるんですね」とのこと。そういったことも、仕事を続ける上での楽しみだった。

 アイドルグループのCoCo(ココ)には、特に深く関わった。結成から解散まで、彼女たちのアイドルとしての成長過程を編集者として一緒に歩んだ。メンバーとはいまも交流が続いているという。

 またこのころ、雑誌記事だけでなく、さまざまな企画も立案した。ネットの活用がまだ珍しいころ、パソコン通信を活用してアイドルとチャットする企画を立て好評を博したりした。「学研は教育出版から始まった会社なので、それ以外のことをするのには既存の枠組みがなく、自由に企画させてもらえました」とのことだ。

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