サービス事業に活路を求める富士通(第1回)田中克己の「ニッポンのIT企業」(1/2 ページ)

業績が低迷を続ける富士通は今後成長の活路をどこに求めるのか。4回にわたって富士通の現在、そして将来を追う。

» 2012年10月23日 08時00分 公開
[田中克己(IT産業ウオッチャー),ITmedia]

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 富士通の業績が低迷を続けている。ピークの2000年度に比べて、2011年度の売上高は約1兆円減、営業利益は半減する。特に、売り上げは2008年度から下降線をたどっている。富士通は成長の活路をどこに求めるのか。サービスなのか、プロダクトなのか、海外市場なのか。第1回は、最大の収益源であるサービス事業から探る。

製販一体をやめた理由

 富士通が2012年4月、一体化したSE(約6000人)と営業(約5000人)の組織を分割し、SEは収益、営業は売り上げの責任を持つ体制に再編にした。約8年間、製販一体でビジネス展開し続けてきたことで、利益重視の守りの経営になってしまったからだという。チャレンジが少なくなっているのだろう。

富士通の業績推移(単位:億円) 富士通の業績推移(単位:億円)

 システムインテグレーション(SI)事業を担当する上嶋裕和執行役員常務は「業種別の縦割りになり、SEの横のつながりが希薄になった」と話す。例えば、各業種別組織が同じようなソリューションを開発するなど、無駄な作業、行為が増えた。SEと営業が一緒になって提案したり、見積もりしたりするので、ユーザー企業からSEが営業のように見える場面もあったという。

「富士通の強さはSEパワーにあるのに、それがバックに隠れてしまった」(上嶋常務)。

 そこで、営業はこれまで通り顧客軸の業種別組織を維持し、SEは業種を横軸にも対応する体制にした。実際のSE組織は業種別で、例えば、流通ビジネスなら営業部隊の流通ソリューションビジネスグループが顧客に対応し、同じく営業部隊の民需ビジネス推進本部が市場の調査やソリューション商品を企画し、SE部隊の産業・流通システム事業本部が商品開発を担当する。SE部隊が用意した共通技術や共通ソリューションも組み合わせて、主に地域SE子会社がユーザーにサービスを提供する。こんな形態のようだ。

 SEと営業の組織を一本化したのは、黒川博昭社長(当時)だ。今と同じような業績が落ち込む中で、黒川社長は「顧客起点」を重要視し、2004年に産業・流通、社会基盤、金融、公共、地域、グローバルのマーケット別組織に再編し、業種別組織が損益を管理する体制にした。2005年には、現会長の間塚道義専務(当時)がサービス事業を担当し、子会社社長だった広西光一氏と播磨崇氏の2人を本社に戻し、SIサービスの実行責任者に据えた。後に社長になる野副州旦氏はSIアシュアランス本部長として、SI案件の赤字撲滅運動にあたった。SI事業が業績拡大に貢献し、3期連続の増収増益(営業利益)を達成した。

 だが、2008年度から再び伸び悩み始めた。そこで、2008年6月に社長に就任した野副氏が、本社SEの一部をSE子会社に移管したり、中堅企業向けビジネスを展開する富士通ビジネスシステム(現富士通マーケティング)の完全子会社化したりするなど、国内営業・開発体制の刷新に乗り出した。その矢先の2009年9月、突如、解任された。

 一時的に間塚会長が社長を兼務するが、2010年4月に社長に就いた山本正已氏は2010年7月の経営方針説明会で、「プロダクトとテクノロジーがサービスを支える形になる」とし、テクノロジーをベースにしたサービスモデルを作ることにした。サービス事業を伸ばさなければ、収益を拡大できないし、他事業を成長させる投資もできないからでもあろう。

 サービス事業の売り上げ(2011年度)は2兆3714億円と、連結売上高の半分強を占める中核事業である。営業利益になると、1240億円となり、連結の1053億円を上回る。ただし、サービス事業の売り上げは2007年度(2兆6289億円)と比べると、約2500億円のマイナス、営業利益は200億円弱のマイナス(07年度は1433億円)になる。

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