油断大敵――“殺気”察知能力を育てる新人教育樋口健夫の「笑うアイデア、動かす発想」

「殺気!」――。一瞬の気配を察知することで、思わぬ危機から抜け出せることもある。百戦錬磨のベテランであれば、当然会得しているこうした察知能力は教育で習得できるものなのか。

» 2007年04月20日 17時00分 公開
[樋口健夫,ITmedia]

 一瞬の気配を察知することで、思わぬ危機から抜け出せることもある。百戦錬磨のベテランであれば、当然会得しているこうした“殺気”察知能力。たわいのない商談の中に潜むビジネスチャンスをつかみ、平凡なルーティンワークに隠れるかすかなビジネスリスクを察知する。いわば商機をつかむ勘なのだ――。そんな能力は教育で習得できるものなのだろうか。

どうして行く前に尋ねないのだ

 筆者がある通信会社の営業部長をしていたとき、新人が数名配属された。5月中旬のことである。そのうちの1人に早速、子リス君とあだ名を付けた。小さくてクリクリした目に愛嬌があった新人である。

 配属されたその日に、その子リス君を連れて、さっそく顧客にご挨拶に行く。それも極めつきの重要なお客さまのしかるべき役職の人に面談させることにしていた。配属されたその日というのは緊張の連続。新人たちにとっては“長い1日”だ。

京浜東北線

 筆者と子リス君2人でJR田町駅から京浜東北線に乗る。客先は川崎駅のそばだ。田町駅の階段を下りてみると、すでにホームに電車が入ってきていた。「扉が閉まりまーす」

 筆者は突然走り出して階段を駆け下りた。「わー」と叫んだのは、筆者でなく子リス君だった。筆者は無事に電車に飛び乗ったが、子リス君は見事に扉に挟まった。どうするかなと見ていたら、子リス君は真っ赤な顔をして、扉をこじ開けた。何とか体が通るほど開けて、さっと入り込む。バシャンと扉が閉まった。もう崩れるかのごとくエネルギーを使い果たした子リス君。

「な、何すんですか。部長〜」

「いやあ、置いて行こうと思った(笑)」

「マジですか。信じられない!」

「根性で乗れたじゃないか。しかし、これからどこに行くのか、君は知っていたか?」

「知りません」

「どうして行く前に尋ねないのだ。君は定期券で駅に入ったろう。私は切符を買った。その前に、どこの駅まで行くか、どこの何というお客さまを訪問するかを尋ねたか?」

「……」

「我が営業部ではな、それでは置いて行かれるのじゃよ。油断大敵なんじゃ」

「……参りました」

「部長と一緒のときは、油断もスキもないです」

 再び、JRで京浜東北線。筆者と子リス君の2人で座っていたら、子リス君は目的の駅の手前で寝てしまった。大きな口を開けていた。新人たちの間で、前の晩まで飲み会が続いていたのだろう。

 「お疲れさん」と心に念じながら、筆者はそろりと立ち上がった。子リス君に察知されないよう、ゆっくり、ゆっくり、席を離れた。前の座席の人が筆者の行動を怪訝に見ていた。抜き足差し足で隣の車両に移動し、そこから子リス君の観察をしていた。まだぐっすりと寝ている。

 寝ている子リス君の隣に青い服を着た小太りのご婦人が座った。これがまた、しなやかにうまいこと座ったので、子リス君はまだ気が付かない。そして電車は駅に停車した。

 停車した時の衝撃で、口を開けて寝ていた子リス君も目が覚めた。見ていると、頭を下げながら、ゆっくりと左側のご婦人を見て、「アレッ」とばかりに右を見た。居るはずの部長が居ない――のである。

 途端に子リス君は跳ね起きた。電車の扉は閉まり始めていた。「わー」と声を上げて、扉に突進したが、今度は挟まれなかった。子リス君の目の前で見事に扉が閉まったのだった。その時の子リス君の半泣きの顔は、今も大切な思い出だ。筆者はおもむろに、車両を移動して子リス君の救済に向った。子リス君の呆れ顔と乗客の笑い声が今でも記憶に残っている。


 その後、子リス君はこのエピソードを絶対に忘れなかった。筆者の送別会のときまで言っていた。「部長と一緒のときは、油断もスキもないです」。子リス君はこうして、立派な社会人となるべく“殺気”の勘を養う特訓を受けていたのだった。

今回の教訓

“油断”とは準備が足りないことと知れ。備えあれば憂いなし――。


著者紹介 樋口健夫(ひぐち・たけお)

1946年京都生まれ。大阪外大英語卒、三井物産入社。ナイジェリア(ヨルバ族名誉酋長に就任)、サウジアラビア、ベトナム駐在を経て、ネパール王国・カトマンドゥ事務所長を務め、2004年8月に三井物産を定年退職。在職中にアイデアマラソン発想法の考案。現在ノート数338冊、発想数26万3000個。現在、アイデアマラソン研究所長、大阪工業大学、筑波大学、電気通信大学、三重大学(いずれも非常勤講師)、企業人材研修、全国小学校にネット利用のアイデアマラソンを提案中。著書に「金のアイデアを生む方法」(成美堂文庫)、「できる人のノート術」(PHP文庫)、「マラソンシステム」(日経BP社)、「稼ぐ人になるアイデアマラソン仕事術」(日科技連出版社)、アイデアマラソンは、英語、タイ語、中国語、ヒンディ語、韓国語にて出版。ものづくり例は、「アイデアマラソン・スターター・キットfor airpen」(ぺんてる、アイデアマラソン研のコラボ、JustMyshopにて発売中)。公式サイトは「http://www.idea-marathon.net/」。


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