ほめたり叱ったりすることで部下が育たない理由をお話しする前に、私がそのことに気づいた原体験をお話ししましょう。
私は子供のころ、とても扱いにくい人間でした。活発で元気なのですが、人の気持ちをくむことを知らず、とても生意気で、落ち着きがなく、自分勝手でわがままで、そのくせ線が細く、傷つきやすいという性格でした。
そんな私に対して、親も先生も、常にハラハライライラしながら、時には叱り、そしてときにはほめたりなどして、なんとか私をまともな人間に育てようとしました。
でも私は、ほめたり叱ったりする行為の向こう側に、大人たちの、自分の都合を押しつけてくる気持ちが透けて見えていたので、結局誰の言うことも心から納得して聞き入れることはできませんでした。
しかし、高校1年生のときの担任の先生は、今までの大人たちとはひと味違いました。この人は、私のことをほめることも叱ることもしませんでした。
ただただ、私のことを見ていて、そして受け入れてくれるだけなんですよね。そして、変化を起こしたところはちゃんと見て、その変化を認めてくれていたんです。
私は、この先生からかけられた、ほめ言葉や叱り言葉の記憶を全くといっていいほど持っていません。しかし、いつも自分のことを受け入れてもらえているという感覚はありましたし、自分が起こした変化については、それがいいことにしろ悪いことにしろ、その変化を認めてくれていたような実感がありました。
実際、私は高校入学時の1学期には成績もクラスで45人中41番という成績で、生活態度も決してよくありませんでしたが、2学期以降は成績も上がり、生活態度もずいぶんよくなったと言われるようになりました。
また、私だけではなく、その先生が担任するクラスは、皆結束力が高く、素晴らしいクラスとなっていて、他のクラスの生徒たちは、その先生のクラスに入りたいと切望したものでした。
そういった、きちんとした育て方の根本にあるのは、その先生の「ほめたり叱ったりしない指導」のたまものだと思っています。
あれから30年近くが立ち、今こうして人を指導する仕事に就くようになってから、人をきちんと育てられている指導者たちがいったいどんなことをしているのかをよく観察してみると、その人たちの多くが、
で人に接しているのだということが分かりました。
「うみの言葉」とはなにかというと
ということを指しています。
まず一番肝心なことが、部下がいかなる状態や考え方であっても、まずはそれを受け入れるということ。たとえ自分の思いや考えと違っていて、それが納得できないものであったとしても、部下には部下なりの考えがある訳ですから、まずはそれを一旦受け入れることが、部下を育てるに当たっての大前提条件として必要となります。
その上で必要なのが認めること。「部下を育てる」ことは「部下に変化を起こす」ことですから、当然その変化に敏感になる必要があります。その変化を見極めるためには、部下の現状を認め、そして変化の差とその要因を認めることが必要になります。
仮に今、部下の実力が20点だったとしても、その20点を認める、ということ。そして、次の日に21点となっていたら、その成長した1点をしっかり認める、ということ。逆に、点数が下がって19点となってしまったら、その原因が、新たな取り組みが失敗したものなのか、それとも単なる甘えなのかをしっかり把握し、それを認める事。
この「受け入れる/認める」ということがきちんとできた上でないと、どんなにほめても叱っても、ほとんど効果はありません。逆に、受け入れ、認める事ができると、無理にほめたり叱ったりすることをしなくても、部下は勝手に成長していってくれることでしょう。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.