藤川 震災から約2ヶ月後に仙台に入ったのですが、間借りと移動を繰り返しながらだったので、なかなか生産性が上がりませんでした。間借りした会社さんではとても歓迎してくれたので、有り難かったですし、コミュニケーションも深まったので良かったのですが。
そこで、約2カ月だけ借りることができるオフィス物件を見つけて、そこに支社を置くことになりました。そこに人を呼んで開発を行ったり、勉強会をやったり……。3カ月というのはかなり短期なのですが、オフィスとして利用できるとことが見つかり仙台支社という形で設置できました。
松原 そのためにエンジニアも1人、仙台に連れて行っていました。鎌倉にいるデザイナーや現地の開発者とのコミュニケーションの橋渡し役になってもらったわけです。鎌倉から遠隔で仙台に発注して終わり、だったらここまでの拡がりは出てこなかったと思いますね。実際に顔を見ながら一緒に働く、というカヤックが大事にしていることにも通じるものがあります。
松原 京都に支社を作ろうという話は震災から1週間後には決まっていました。計画停電の影響を避けようということで、役員にも知り合いなどに当たってもらって。ちょうど関西出張の予定が入っていた代表(柳澤大輔代表取締役CEO)にも候補物件を見てもらい、その場で決めてきたという形です。
藤川 ここ(鎌倉)や恵比寿もそうなんですが、いわゆるオフィス街ではない、ちょっとユニークなところで仕事をする、というスタンスは保持しようということですね。京都の物件も希望より若干大きかったのですが、リノベーションを施したとてもよい空間だったので即決でした。
藤川 極力それはしないように考えていたのですが、震災直後2〜3日はやむを得なかったですね。電車が動かなかったりもしましたから。もともと関西にも拠点を持ちたいと考えていたので、京都の方は少し長めに1〜2年使用する前提で物件を探しました。
松原 希望者を募って面談をしました。ただ希望を出せば行ける訳ではなく、それは聞きつつ京都オフィスでの業務内容とスキルを照らし合わせてという感じではありましたが。
藤川 いろいろなところに積極的に顔を出す、例えば広告代理店さんを訪問したり、クリエイティブ系の集まりに参加したり。関西では商慣習が違うことはもちろん、クライアントも比較的大手が中心で求められる質が異なっていたり、といったことを学びながらですね。
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