30歳「付き合いで始めた」ベンチプレスで世界一に――内田洋行、中山久幸さんの働き方アスリートという働き方(1/2 ページ)

ベンチプレスの国内大会で6年連続の優勝、世界大会でも通算5回のチャンピオンに輝いた中山久幸さん(49歳)。日々のトレーニングと仕事を両立させるその働き方を聞いた。

» 2012年10月18日 10時20分 公開
[上口翔子,Business Media 誠]
ベンチプレス66キロ級の世界チャンピオン、中山久幸さん(衣装はベンチプレスの試合で着用するコスチューム)。2012年のチェコ大会では228キロのバーベルを持ち上げ、世界記録を更新しての優勝を果たした

 都内在住の中山久幸さんは、内田洋行のオフィス事業本部プロジェクト管理課に勤める49歳のビジネスパーソン。そんな中山さんのもう1つの顔が、ベンチプレス66キロ級の世界チャンピオンだ。しかも優勝経験は一度ではなく、2007年の初優勝から数えて、2012年の大会で通算5度目。国内大会では、年に一度開催される全日本大会で6年連続の優勝を果たしている。日本パワーリフティング界を代表する選手の1人だ。

 パワーリフティングは、持ちあげたバーベルの重さを競うスポーツで、ベンチプレスはそれを上半身の力のみで行う。ベンチプレスの選手のように記録を競うことが目的ではない人、例えば野球やバスケットボールなどのプロスポーツ選手が、筋力トレーニングの一環でメニューに取り入れたりもしている。

 日本パワーリフティング協会が規定する大会に出場する選手は皆アマチュアで、普段は中山さんのように企業に勤めて働いていたり、ジム経営をしていたりしている。

 つまり昼間は一般のビジネスパーソンと何ら変わらなく働いている。しかも中山さんの場合、学生時代に特別なトレーニング経験があったわけではなく、ベンチプレスを始めたのは30歳になってからだという。最近では高校や大学のパワーリフティング部で鍛えた選手も多いが、そんな中でも中山さんは衰えを感じずに日々トレーニングを続けている。

 それは大会最年長で優勝した2012年の大会後も同じ。本インタビュー時には「昨日より今日、先週より今週のように、日々成長を感じている。次回大会では、さらに上位記録を狙う」と力強く話してくれた。そんな中山さんに、ベンチプレスを始めたキッカケや、仕事とトレーニングを両立するワークライフバランスの取り方について聞いてみた。

30歳を機に体を鍛える目的で始めた

――まずは中山さんがベンチプレスを始めたきっかけを教えてください。

中山さん 内田洋行に入社して、最初の配属先が仙台営業所でした。そのとき取引先で知り合ったのが、たまたま同じ歳の人でした。その人は自宅で筋トレをしていて、ちょうど私も学生時代に空手をやっていたこともあって、2人で30歳になったのを機に「体を鍛えようか」という話になったんです。それが最初のきっかけでした。

 それまではスポーツジムにも行ったことがなかったのですが、近くの体育館にあったトレーニング室で、ベンチプレスを始めました。その体育館に通っている人の中にベンチプレスの大会に出ている人がいて、続けるうちに、私たちも「大会に出てみようか?」となったんです。それが競技者としてのスタートです。

 ちなみに高校時代は空手、中学時代にはバスケットボールをしていました。大学時代や、社会人になってからは特にスポーツはしていませんでした。

大会出場3年目で初優勝

――大会に初出場したのはいつですか?

 1995年で、32歳のときでした。沖縄で行われた全日本大会です。当時は56キロ級で(現在は66キロ級)、結果は5位。翌年から階級を60キロ級に上げて、初優勝をしたのは1998年のアジア大会です。

中山久幸さんの公式試合記録
開催年 大会(開催場所) 階級 結果 記録(キロ) 備考
1995 全日本大会(沖縄) 56 5位 105 公式試合初出場
1996 全日本大会(北海道) 60 4位 130  
1997 全日本大会(東京) 60 3位 150  
1998 全日本大会(島根) 60 2位 152.5  
アジア大会(台湾) 60 優勝 140 国際大会初出場で初優勝
1999 全日本大会(愛知) 60 3位 162.5  
2000 全日本大会(大阪) 60 6位 160  
2001 全日本大会(香川) 60 3位 180  
2002 全日本大会(栃木) 60 優勝 192.5 国内大会で初優勝
アジア大会(インド) 60 優勝 180  
世界大会(ルクセンブルク) 60 3位 192.5  
2003 全日本大会(北海道) 67.5 優勝 192.5  
世界大会(スロバキア) 56 2位 170  
2004 全日本大会(東京) 56 2位 165  
2005 全日本大会(埼玉) 56 2位 167.5  
世界大会(スウェーデン) 56 失格 記録なし  
2006 全日本大会(沖縄) 60 優勝 195  
2007 世界大会(デンマーク) 60 優勝 190 世界大会で初優勝
全日本大会(兵庫) 60 優勝 211  
2008 世界大会(チェコ) 60 優勝 207.5  
アジア大会(香港) 60 2位 190  
2009 全日本大会(愛知) 60 優勝 197.5  
世界大会(ルクセンブルク) 60 2位 197.5  
2010 全日本大会(愛知) 60 優勝 205  
世界大会(アメリカ) 60 優勝 207.5  
2011 全日本大会(高知) 66 優勝 227.5  
世界大会(オーストリア) 66 優勝 220  
2012 全日本大会(茨城) 66 優勝 235  
世界大会(チェコ) 66 優勝 228  

――ベンチプレスを始めて6年目の1998年にアジア大会で優勝をして、2002年には国内大会、世界大会でも初優勝していますね。

 はい、その頃は、どの大会にどの選手がエントリーするかが事前に分かるシステムだったので、強い選手がいる階級は避けたりして、階級を決めていました。実は先ほど言った一緒にベンチプレスを始めた人が、階級も同じだったんです。その人は私よりも先に世界大会に出場をして、2位になりました。

 世界大会は人気があり各階級1人しか出場できないので、2001年の香川大会のときに勝った方が階級を上げようと約束をしたんです。そこでその人が勝ったので、翌年の栃木では私が60キロ級で出場をして優勝した形です。ただ、彼は67.5キロ級に移ったら勝てなくて、代わりに2003年には私が上の階級に行くことにしたんです。

トレーニングは所属ジムが休みの日以外は毎日欠かさないという中山さん。一緒にベンチプレスを始めた人は2005年からボディービルに転向したので「結局同じ階級では一度も勝てませんでしたね」と話していた

――だから2003年の国内大会は中山さんが67.5キロ級なんですね。でも2003〜2005年は56キロ級となっています。前年(67.5キロ級)からだとだいぶ体を絞らなくてはならなかったと思いますが、大変ではなかったですか?

 通常のウエイトが63〜64キロなので、逆に1995〜2002年の60キロ級のときは減量していたくらいなんです。ただ、2003年のときは肩を壊してしまって、67.5キロ級で登録をして世界大会に出場しても全然話にならないと思い、3カ月で約11キロ落としました。

 肩の痛みは2005年まで続いてしまい、それで2005年の世界大会は「失格」という結果になりました。その間はもう痛くて、ほとんどまともにトレーニングもできない状況でした。

仕事との両立で17年間続けられたわけ

――約2年間、ケガと戦い続けたのですね。途中辛い時期もあったと思いますが、それでも辞めずに続けられたモチベーションはどこにあったのでしょうか?

 肩をケガしたときに2カ月くらい一切練習をしないで様子を見ていたのですが、治る気配がないときには「あ、もうだめだな」と思いました。そのときには60キロのバーベルも持てなかったですから。

 でもベンチプレスを始めて、最初の目標が「一緒に始めた人に勝ちたい」だったんです。仕事の延長で付き合いのような形で始めたのに、続けているうちに全日本大会も一緒に出られるようになって。最初はそれで満足していたのが、何回も負けているうちにその人に勝たないと面白くないなと思いだしたんです。

 その人は7〜8年前にボディービルに転向をしてしまったのですが、その頃から私は国際大会にも出始めていて、いつしか世界一になりたいなという思いが生まれました。またリハビリを続けているうちに、コスチュームを着ていれば(テーピング代わりになって)痛み止めでなんとか和らいだ。だからそれからは、世界一になりたい目標に向かってがんばることができました。

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