拠点は沖縄、ビジネスは都市部――ネットを駆使した3人の男の働き方Re:Work !(2/4 ページ)

» 2013年01月16日 10時10分 公開
[三河賢文,Business Media 誠]

インターネットの普及を受け、満を持して沖縄へ

 川平さんは、もともと沖縄県で生まれ育った。現在は沖縄県でデザインの仕事をしているが、約4年前までは東京都内で20年以上もデザイン事務所を経営していた。

川平勝也(かわひら・かつや)さん(48歳)

沖縄県出身。東京都内でデザイン事務所を20年以上営み、2008年から沖縄でグラフィックデザインを中心とした活動を開始。日本グラフィックデザイナー協会にも所属し、デザインによる地域活動にも取り組む。


――なぜ、最初から沖縄で働かなかったんですか?

 何より、まず経験が必要だと考えていました。やはり東京には仕事が溢れているし、その中で力を磨くことは、自分にとって必要だったんです。実際に今でも、東京での経験はやはり生きていると思いますよ。

 その一方、私は最初から、いずれ沖縄に戻ることを目標としていました。最終的には地元に腰を据えて仕事をしたかったためです。東京で実績を積み、経験値を高めながら、ずっと沖縄に戻るための準備をしていたんです。

 そのためにしたのは、東京で依頼を受けていたクライアントと対面せずに仕事が進められる環境を整えることです。連絡の中心をメールにして、容量の大きいデザインデータなどは「firestorage」や「GigaFile」などのファイル転送サービスを活用。打ち合せもSkypeで行うなど、クライアントとの関係を少しずつオンラインに移行していきました。

 沖縄に戻るのであれば、やはり東京のクライアントとも関係は継続したいとろです。そうすれば仕事量や収入面でのリスクはかなり軽減されますからね。そういった意味でも、まずは東京でやってみようと思ったんです。

――沖縄へ戻ることを決めたキッカケは?

 何といっても、やはりインターネットの普及が大きいと思います。データ通信環境が整い、データのみで仕事が成り立つようになりました。つまり私が東京でクライアントに対して行っていた「対面せずに仕事が進められる」環境が、当たり前になったんです。インターネットは沖縄だってもちろんつながりますし、これなら沖縄でも東京と変わらぬ環境で仕事ができると確信しました。

 もちろん私が沖縄へ戻ることで、クライアントにも迷惑が掛かります。しかしそこは、今後の仕事のやり方や私の思い、考えを理解してもらうよう努力しました。

 東京を離れても、メールや電話等で業務遂行が可能であることをクライアントに説明。そのために東京を離れる以前から、少しずつ直接訪問をなしで業務を行い、それが可能である裏付けを作っていたのです。有り難いことにいくつかのクライアントとは沖縄でも継続的に関係を続けられています。

 しかし沖縄だけでは、どうしても多くの仕事が得られません。そこでクラウドソーシングが、営業面で私の大きなサポートとなっています。主にLancersを利用しているのですが、Lancersには全国からデザインを含むさまざまな仕事が集まってきます。これで「仕事が得られない」リスクは大きく減りますよね。仕事さえあれば、あとは私の頑張り次第ですから。

――仕事を楽しむために、必要なことは何だと思いますか?

 何より、まず目標を持つことだと思います。私であれば、ずっと「沖縄に戻る」目標を持って仕事をしていました。そうすれば困難があっても、目標のためだから頑張れる。いわば、全てのことが目標に到達するためのハードルだと思えたんです。

 東京で仕事をしていたときは、毎日必死でした。もちろん今も仕事には真剣ですが、仕事優先になってしまって、仕事に追われていたんです。もちろん、それも1つの働き方だと思いますよ。

 しかし仕事に追われることを望まないのであれば、目標を持ち、そして自分の「思い」を優先すべきではないでしょうか。少なくとも私は今そうしていますし、だからこそ毎日が楽しく充実しています。

 とはいえ、中には目標を持てない人がいるかもしれません。そういう人は、とにかく何か行動することをお勧めします。休日ボランティアに参加したり、副業をしてみるのも良いでしょう。

 行動しなければ何も見つからないし、いつまでも現在の視野のままです。自ら行動することで視野を広げ、仕事だけで終わってしまわないようしてもらいたいと思います。

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