ドロップアウトしたことで見えた社会の現実満員電車にサヨナラする方法(1/2 ページ)

「フツーに大学へ行き、フツーに就職して、フツーにつつがなく一生勤めあげること」――。世間一般のこの“フツー”が、幸せではなくなる時代がくるかもしれません。

» 2014年01月28日 11時00分 公開
[秋好陽介,Business Media 誠]

集中連載『満員電車にサヨナラする方法』について

 本連載は、2013年12月21日に発売したランサーズ代表、秋好陽介著『満員電車にサヨナラする方法〜時間と場所にとらわれない新しい働き方〜』(ビジネス社刊)から一部抜粋、編集しています。

 ブロガ―ちきりんさんやグロービス代表の堀義人氏も推薦! 日本初のクラウドソーシングサービス「ランサーズ」の代表、秋好陽介氏が提案する時間と場所にとらわれない新しい働き方とは?

 インターネットが普及している現在、出社しなくてもできる仕事は珍しくありません。もしかしたら「この通勤時間を仕事時間に使えたら、どんなに生産的だろうか」「通勤時間を労働時間に変えれば、家族と過ごせる時間が増えるのに……」「通勤時間を労働時間に変えれば、プライベートをさらに楽しむことができるのに……」と感じたことがある人もいるのではないでしょうか。

 世の中の人々が自分の価値観、好み、感性のおもむくまま自由に生きられる、そんな面白い時代が、すでに始まっています。


 今でこそ違いますが、学生時代の私はサラリーマンとして働くことに対してとてもネガティブに捉えていました。毎日、朝早くから満員電車に揺られて出勤する。やりたくもない仕事を延々とやらされる。無理難題を押し付けられても文句の一つも言えない。そんな生活が何十年も続くなんて、想像しただけでも気が遠くなりそうだったからです。

 世間一般の常識は、「フツーに大学へ行き、フツーに就職して、フツーにつつがなく一生勤めあげることが、幸せになる道なんだよ」と言うわけです。

 確かに団塊の世代かそれに近しい年代ぐらいまでは、そういう道がもっとも理想的な人生のありかただったと思います。私も高度成長期の前に生まれていたら、サラリーマンとして生涯勤めあげることを迷わず選択したかもしれません。ましてや起業などしなかったでしょう。

 ところが、時代は変わりました。

 会社は、従業員の生活の保障を約束することができなくなってしまったのです。誰もが超一流と知る企業でさえ、倒産するご時世です。安全神話はもろくも崩れ去っています。

大学へ行くのをやめようかな

 そんな社会の現実を痛烈に思い知らされたのは、19歳のころでした。

 高校生のころの私は、進学校に通う勉強熱心な普通の学生で親世代の大人たちが言う話を信じて疑わず、「いい大学に行かなくちゃ」と思って毎日必死に勉強していました。ただ多感な青春時代ですから、ちょっとうまくいかないことがあっただけでさまざまな感情が渦巻きます。ある日、受験勉強に疲れた私はふと「大学へ行くのをやめようかな」と母親に弱音を吐きました。

 本音と冗談が複雑に入り混じった感情から、ぽろっと出てしまった一言に、教育熱心だった母親は大きなショックを受けたことだと思います。そのため私が期待していたような共感の返答はなく、「何のために進学校まで行ったのか、絶対に行きなさい!」というような感情的な反応に逆に大変驚いたことを覚えています。

 大人になったいまでこそ、愛情から言ってくれたことだとわかりますし、期待を裏切るような発言を軽く言ったことは本当に申し訳ないことをしたと思っています。しかし、当時の私は非常にショックであり、意固地になる原因となってしまいました。

 「自分の人生なのに、なぜ母親の満足のために生きなきゃいけないのだろうか。大学に本当に行ったほうが良いのか」と思い悩み、勉強のモチベーションを急速に失ってしまい、ついには本当に大学に行きませんでした。

 周囲は「本当に大丈夫なのか」とハラハラしていましたが、本人は受験勉強のプレッシャーから解放されたこともあって、いたってのんきです。やがて高校を卒業すると、学生の身分もなくなり、名実ともに自由な身になりました。もう今日から何をするのも自由だと思ったときの気持ちは、たとえようもなく清々しいものでした。

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