片腕が動かなくなったらどうする? イラストレーター古賀さんの“前向きな選択”:達人のクリエイティブ・チョイス
事故で片腕が動かなくなったらどうする? そんな体験をしたのは、イラストレーターの古賀さん。彼はどういう選択をして、イラストレーターになっていったのだろうか。
困難な選択を迫られたとき、あなたならどういう選択肢を創り出し、選ぶだろうか。そんな“クリエイティブ・チョイス”の実践者に聞く『達人のクリエイティブ・チョイス』。4回目の今回は、書籍『クリエイティブ・チョイス』のイラストを担当した古賀重範(こが・しげのり)さんに聞いた。
表現を通じたコミュニケーション――これが僕の武器
イラストレーターの古賀さんは、実は利き腕の右腕が不自由。23歳の時に交通事故にあったためだ。高校を卒業した古賀さんは、スノーボードにはまり、冬になるとスキー場でアルバイトしていた。「オフシーズンは、いろいろなところのアルバイトを転々としていました。言ってみれば恵まれていたんでしょうね」。早く冬にならないかなという生活をしていたら事故にあったのだ。
事故直後、アルペン競技のスノーボーダーだった古賀さんにとっては、「ポールにぶつかる左腕じゃなくてよかった」と“安心”したという。もちろん医者には「仕事はどうするんだ」と怒られた。
「そのときから前向きだったんでしょうね」。左手だからこそ面白い絵が描ける――自分の弱いところを武器にして、ピンチをチャンスに変えようと思ったという。
もともとスポーツは得意だった。小さいころから控えめだったが、仲間内での野球などには必ず呼ばれ、「スポーツを通じてコミュニケーションしていました」。事故でコミュニケーション手段の1つを失った時、もう1つの“武器”を思い出したという。それが小学校のころ、新聞係だったことだ。
いつもは静かな古賀さんだったが、クラスで新聞を張り出した時は、みんなが話に寄って来たという。「授業中も勉強そっちのけでマンガを描いたり、似顔絵を描いたりしていました。それでみんなに笑ってもらったのがうれしかったんです」。表現を通じたコミュニケーション――「これが僕の武器なのかなと」
似たような絵は描けるようになったが……
ケガをしてからいきなりイラストレーターになったわけではない。最初の会社ではCADで図面を引いていた。「でも専用CADソフトだったんですよね。ここで働いていても外で働けないと思って辞めてしまいました」
イラストレーターの安西水丸さんが好きだった古賀さんが、同じイラストレーターを志したのはそのころ。「今考えたら失礼ですけど、水丸先生の絵を見ていたら僕でも描ける気がしてきました。これだ! と。でも、メジャーリーグでバントヒットで一塁に行くイチローを見て、オレでもできると思うのと同じですよね」
安西水丸さんの絵を真似て描いていたが、仕事としては認めてもらえなかったという。「しみ出る個性がなかったのかもしれません。(本物には)何か引き付ける魅力があるんでしょう」
イラストの仕事が取れるようになってきたのは、絵の質が向上したせいもあるが、気持ちの問題も大きいという。当初は好き勝手に絵を描いて、持ち込んでいた。当然、仕事にならない。そこで描き方だけでなく営業方法も考えた。「採用してほしい雑誌を見て、今載っているカットを隠してみました。ここが自分の絵ならどうするか?」。つまり、“逆算”してカットを描けるようになったのだ。「カットを当てはめてみると、あ、この雑誌にはあってないとか分かるようになりました」
「難しい内容でも面白く描いてやろう。作者をからかってやろう」というぐらいの気持ちでイラストを描いている。一方、『クリエイティブ・チョイス』は分かりやすかったので「逆に苦労した」という。
「仮に健常者として生きていたら、イラストレーターになれたかどうか。派遣切りにあってたかもしれない」とあくまで前向きだ。この考えが、イラストレーターになりたいという気持ちにつながり、古賀さんの現在につながっている。「選択肢があることが幸せ」――事故で選択肢を失ったはずの古賀さんだが、幸せなクリエイティブ・チョイスを実践できたのかもしれない。
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