3つの心得:感動のイルカ(1/2 ページ)
経営に悩んだ浩は、マーケティングコンサルタントの秋田正芳に話を聞きに行く。「経営者にとって3つだけ大事なことがあるとしたら何でしょうか?」「よっしゃ、とっておきの3つを教えたろ。その代わり、一生忘れたらあかんで」――。
前回までのあらすじ
ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役兼CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語である。
取り込み詐欺に遭い会社をリストラされた主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)。独立して立ち上げた引っ越し屋は売り上げも順調だったが、安易なコンサル頼みで利益を減らしてしまった。悩んだ浩は経営を学ぼうと、マーケティングコンサルタントの秋田正芳に話を聞きに行くのであった――。
運ばれてきたビールを浩は、秋田のグラスに注いだ。
「ん、おおきに。俺はビンビールが好きでなあ」
「生がお嫌いなんですか?」
「いや、そうやない。この差しつ、差されつみたいなんが好きなんや。めんどくさがる人も多いけどな」
そう言いながら、秋田は注ぎ返した。
「ぼくは、自分のグラスが空くと気づいてもらうのが面倒なので、手酌でついでしまうんですが」
「自分のについでほしければ、まず人のについだらええ。それでも気づかんやつもおるけどな、ビジネスマンとしては成功せんやつやから、プライベートは別としても、ビジネスの付き合いはやめといたほうがええ」
確かに、気を遣いすぎる人間も大成しないだろうが、目の前の相手が何を欲しているのか読めない人間は、そもそも売り上げを作るのが難しいだろう。お客の心が読めないのと一緒だからだ。
「まあ、ぼくらは関西の人間やから、余計そう思うのかも知れんな。あっちは、全員お互いがいつ客になるか分からんから、自然とこうなる。こっちは、会社の社長とか官僚とか予算を持っている人には気を遣うみたいやが、そうでないもんは見くだしよる。というても、関西かてええとこばっかりやないけどな」
「先生」
「なんや?」
「経営者にとって3つだけ大事なことがあるとしたら何でしょうか?」
「3つどころか1000も2000もあるけどな」
「すみません。バカなんで、3つしか覚えられません」
「あはははは、偉い、偉い。自分がアホやと知ってるもんが、いちばん偉いんや。よっしゃ、とっておきの3つを教えたろ。その代わり、一生忘れたらあかんで」
「はい」
「1個めは、『あきらめない』っちゅうことや」
「あきらめない」
「そうや。みんなあきらめるのが早すぎる」
「そうでしょうか?」
「まあ、猪狩君はあきらめが悪そうやけどな。俺は大企業の顧問なんかもやってるけど、大企業の社員はあきらめるのが早いなあ。あいつらが企画を出して、何回承認されないとあきらめるか知ってるか?」
「いえ、知りません」
「俺の友達の調査会社が調べたデータやけど、3.2回やそうや。要するに3回であきらめてるやつが大半ちゅうことやね。1回であきらめるやつも多いんやろうなあ」
「そんなもんなんですか?」
「ああ、そんなもんや。みんな、やりたいことをやらしてほしいとか言うときながら、そんなもんなんや」
「それって、たぶん3回断られたらあきらめようとかって決めてるんでしょうね」
「その通りやと思うわ。3回ってなんとなく頑張ったって自分を慰めることができる数ではあるな。大学も3浪もしたら確かにつらい。でもなあ、企画やで。年1回やなくて、別に毎日出したらええがな。本当にやりたいんやったら」
「先生は、何回であきらめるんですか?」
「俺か? 俺は通るまでやるわい」
「でも、人生限りがあります」
「それはそうや。でもな、俺の知る限り100回提出しても通らなかった企画は1つもないで」
確かに100回出して通らない企画はなさそうな気がする。でも、もう一押ししようと浩は思った。
「もし100回出して通らない企画があったらどうされるんですか?」
「あはははは。そのときは、200回って言えばええだけや」
「なるほど、参りました」
「たぶん、これからも何度も会社がつぶれると思うときが来るやろ。そのときは、あきらめの悪いもん勝ちや。覚えといてな」秋田の目が笑っていた。自分の息子を見るような目だった。
湯豆腐が運ばれてきた。浩は、秋田の分も器に取り分けた。
「おお、ありがとう。ほな、2つめにいこか」
「はい」
「次は、ピンチは成長のチャンスと思うことや」
「それだったら、ぼくなんか大成長していると思いますが……」
「そうとちゃうんか? 二十歳のころの自分と比べてみ?」
確かに、苦労の分だけ成長している気がする。
「人間が仕事をする意味ってなんやろか?」
「もちろんそれもあるやろな。じゃあ、一番つらい仕事ってなんや?」
「毎日毎日同じことの繰り返しで、やりがいがない仕事でしょうか」
「そうやね。一番つらい刑罰は、一日中重労働して、わけの分からんもんを作らされて、夕方にそれを壊されることらしい。これをやられるとどんなタフな人でも神経がまいるんやて。俺もいややな」
浩は想像してみた。とても耐えられそうにない。
「要するに仕事を通じて成長したい、あんまり好きな言葉ではないが自己実現したい、というのが仕事をする意味やと思うんや。その方向に向かってない仕事は確かにいややな。そこは認めてくれるか?」
「はい」
「なら聞くが、何も考えんでも順調で、お金が儲かってしゃあない仕事って成長できるんやろか?」
「うーん……。夢のようですが、でも成長はないでしょうね」
「そやろ? ということはトラブルが多いほうが成長できるってことや」
「うーん。でも、トラブル続きもやっぱりイヤになります」
「まあ、トラブルばっかりやったらな。じゃあ、こう考えようや。一生懸命試行錯誤していると、ある日うまくいくときがある。これはうれしいよな?」
「はい」
「うまくいくということは、ノウハウがついたっちゅうことや。で、死ぬまでこれでいけると思うわけや。しかしや。外部環境は常に変わる。また、外部環境がたとえ変わらんでも、成長意欲があるなら、もっと難しいことにチャレンジしたくなる。そうすると、またピンチがやってくる」
「そうですね」
「うん。外圧か内圧かは分からんが、必ずピンチは来るってことや」
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