ボーダフォンの苦境が深刻化している。
2月7日、電気通信事業者協会(TCA)が発表した携帯電話/PHSの2005年1月の契約者数によると、ボーダフォンは5万8700契約の純減になった(2月7日の記事参照)。単月シェアの推移を見ても、ドコモとauが上昇気流に乗っているのに対し、ボーダフォンは失速してしまった感がある。
2Gから3Gにシフトする課程で、キャリアが苦しい立場に立たされるのはしかたのないことだ。エリア、端末、サービスのすべてで、成熟した2Gサービスと競合しながら未成熟の3Gサービスに舵取りしなければならず、その過程で既存ユーザーを失うこともある。
例えば3Gで先行し、比較的スムーズな移行を果たしたと言われるauにしても、CDMA2000 1Xの前身である「cdmaOne」導入時に苦境に立たされた。1998年から2002年初頭までがauの暗黒期であり、“夜明け前”の02年3月には当時のJ−フォン(現ボーダフォン)に業界2位の座を奪われている。しかし、3Gサービスと互換性のあるcdmaOneで「早めに産みの苦しみを味わった」(KDDI関係者)ことで、その後の3G移行でソフトランディング路線を取ることができた。
一方、NTTドコモは2001年のFOMAサービス開始から2004年まで、3Gへの移行で苦戦した。特に2003年以降は早めの3G移行を果たしたauの攻勢もあり、大いに苦しんだが、昨年の900iシリーズで復調のきっかけを掴み、2004年後半には3G移行の流れが力強いものになった。FOMAは“夜明け前”を越えて、暁光を迎えている。
3G移行期の苦境は避けられない通過儀礼だ。しかし、ボーダフォンの場合、それを迎えるタイミングが悪い。大きく3つの不安要因を抱えている。
まず、3G移行への舵取りが遅すぎた。先行したauはもちろん、巨人ドコモまでもが3G体制を堅固なものにしているため、3G移行期でぐらつくボーダフォンのシェアは格好の草刈り場になってしまう。ドコモは3G移行期にauの攻勢に悩まされたが、ボーダフォンはドコモとauの攻勢に耐えなければならない。
2つ目の問題は、苦境期に頼みの綱になるはずのブランド力と既存ユーザーの忠誠心の育成が十分にできていないことだ。特に一昨年から続いた料金施策やキャンペーンでの朝令暮改ともいえる改変、端末ラインナップやサービス体制への不満、人事面での混迷など、様々な要因により、ユーザーからの信頼が揺らいでいる。
3つ目の問題は、端末とサービス開発の時間不足だ。auとドコモの例を見ても、3Gインフラの上で魅力的な端末とサービスを作れるようになるのには、2〜3年の時間を必要とする。しかし、ボーダフォンは3Gへの移行で出遅れた上に、2006年の番号ポータビリティ開始というタイムリミットもあり、用意された時間が少ない。さらにボーダフォングループのコンバージェンスプログラム(3G端末の世界共通ラインナップ化)もあり、日本市場のニーズにあわせてフットワークよく端末開発することが難しいのが現状だ。
ボーダフォンは最悪のタイミングで、3G移行期の悪夢に苛まれている。2月7日に刷新された津田志郎会長とウィリアム・ティー・モロー社長の「2頭体制」が的確な舵取りをしても、その効果が現れ始めるのに早くても6カ月〜10カ月はかかるはずだ。それまで既存ユーザーの支持を得て、どれだけ痛みを少なくできるかが、ボーダフォンの今後にとって重要な鍵になる。
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