1896年に工事着工すると、さまざまな困難が立ちはだかります。技術的な困難は後述するとして、何より資金が必要です。これについては部分開業して得た利益を建設費に回せたのが大きかったようです。
部分開業したのはトンネルにさしかかる手前、クライネ・シャイデック駅(標高2061メートル)〜アイガーグレッチャー駅(標高2320メートル)間です。さほど長い距離ではありませんが、勾配がきついのでレールの間には歯車が見られます。今は後退してしまいましたが、かつてはすぐそばに氷河が見られるという場所でした。自分の足で登ろうとすると大変な道のりです。
当初、部分開業した区間の往復運賃は、一般人の1カ月分の給料に当たるほど高額だったそうです。当時の写真を見ると、着飾った貴婦人の姿も見られます。セレブの物見遊山に近かったのかもしれませんね。将来の宇宙旅行もこうした形で日常化していくのだろうかと想像しました。
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