「尊敬する人物は親です」という答えが損な理由(1/3 ページ)

» 2015年09月16日 15時17分 公開
[増沢隆太INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール:

増沢隆太(ますざわ・りゅうた)

RMロンドンパートナーズ(株式会社RML慶文堂)代表取締役。東京工業大学特任教授、コミュニケーション戦略家。人事コンサルタント兼大学キャリア教官兼心理カウンセラーで、東工大大学院では「コミュニケーション演習」の授業を行っているほか、企業では人材にも「戦略性」を重視する功利主義的アクティビティを提唱している。


 面接でかつてはよく聞かれた質問に「尊敬する人物は誰ですか?」というものがあります。最近は思想信条の調査につながりかねないという理由で、聞かれる率はかなり減っています。この質問に対し「尊敬するのは親」と答える人が非常に多く、特に新卒学生のように年齢が若くなればなるほど、比率は高い傾向があります。この答えはどう受け取られるのか考えてみましょう。

不適切質問?

 「尊敬する人物」を聞くのは違法という意見がありますが、法律上面接官が聞くこと自体は自由です。答を強要されたり、答によって採用を決めてはいけないというのが本来の主旨です。もちろん圧倒的に強い立場にいるのは面接官ですから、質問すること自体、相当慎重にすべきものです。私が企業側の面接官トレーニングを行う場合、特に注意するのは経営者クラスの方です。全く悪意のないまま、セクハラ質問や出自・親の身上といった、不適切な質問をしてしまう人は人事専門家ではなく、面接の素人である経営者に多いからです。

 不適切質問はそれ自体が問題になるというより、結果として選考から外した際に「不適切な質問をされて落とされた」とエスカレーションすることがあり得ます。出自や親の身上は、どうみても経営上の判断基準になるとは考えられないため、そもそも質問としての意味がなく、排除すべき質問です。しかし一方、「尊敬する人物」は、その人の思想ではなく、思考プロセスを見る上では一定の価値のあるものだと思います。

 就活をする圧倒的多数の新卒学生だけでなく、中途採用に応募する20〜30代の方でも勘違いしている人が多数に及びますが、面接で求められているのは「答」ではありません。期待している正解を答えたから採用しているのではなく、「なぜ・いかに」そう答えたのかという思考を見て判断するために質問をしているのです。その思考が伝えられない、判断できない、評価に結び付かない答をしても、面接では意味がありません。

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