巨人・高橋由伸監督が過去2度に渡って直面した「悲哀な運命」赤坂8丁目発 スポーツ246(1/4 ページ)

» 2016年01月07日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

臼北信行(うすきた・のぶゆき)氏のプロフィール:

 国内プロ野球、メジャーリーグを中心に取材活動を続けているスポーツライター。セ・パ各12球団の主力選手や米国で活躍するメジャーリーガーにこれまで何度も「体当たり」でコメントを引き出し、独自ネタを収集することをモットーとしている。

 野球以外にもサッカーや格闘技、アマチュアスポーツを含めさまざまなジャンルのスポーツ取材歴があり、WBC(2006年第1回から2013年第3回まで全大会)やサッカーW杯(1998年・フランス、2002年・日韓共催、2006年・ドイツ)、五輪(2004年アテネ、2008年北京)など数々の国際大会の取材現場へも頻繁に足を運んでいる。


12球団で最年少指揮官となった巨人・高橋由伸監督

 2016年の日本プロ野球で注目すべきことはいくつもあるが、その1つとして間違いなく挙げられるのは12球団で最年少指揮官となった巨人・高橋由伸監督の存在だ。40歳の若さで人気球団の現場トップとなり、今季から就任1年目のシーズンを迎える“Gのプリンス”。しかしながら半生をあらためて振り返ってみると、そこには光だけでなく影の部分も見え隠れしてくる。

 2015年10月20日、都内のホテルで巨人から次期監督就任のオファーを受けた。3日前の同月17日に辞意を表明した原辰徳前監督の後任として即座に白羽の矢を立てられた形だが、その当時はまだ現役選手の身。昨季も代打が基本線だったとはいえ、3割9分5厘の高打率を誇るなど天才と称される打撃技術は衰えていなかった。

 本人も当然現役を続けるつもりだったが、他に後任の候補者がいない現状もあって、それに苦慮していた球団側から「NO」と言えないような形で外堀を埋められた。前出の監督就任オファーは各メディアに時間と場所が前もって知らされ、言わば“公開形式”となったからだ。

 球団からのオファーに即答はせず保留しながらも、その場で多くの報道陣に囲まれると「光栄です」と口にした。引退するつもりなどサラサラなかったのだから、まず間違いなく内心では複雑な思いを抱いていたはずだ。しかしそう思っていたとしても、取材にかけつけた報道陣の向こう側に大勢のファンがいることを考えると本音をぶちまけることなどできるはずがない。それに加え、もしここで断ってしまえば後任監督の選考は再び振り出しに戻ってしまい、球団に迷惑がかかってしまう。誰よりも義理人情に厚く、そのためならば自己犠牲をもいとわない高橋由伸はそう自分に何度も言い聞かせ、オファーを受けてから僅か3日後に監督就任要請を受諾した。

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