道南いさりび鉄道の観光列車「ながまれ海峡号」勝利の方程式杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/5 ページ)

» 2016年03月25日 11時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

130年の歴史が実った「究極のメニュー」

 しかし、ながまれ海峡号のプレスリリースで、疑問点が1つあった。ディナーコースのプロデューサーが道外のシェフだ。

 ながまれ海峡号のディナーは、山形県鶴岡市出身のシェフ、奥田政行氏が担当する。食材は地元から仕入れるというけれど、なぜ、地元のシェフではなく、山形県「食の都庄内」親善大使の奥山氏が選ばれたか。その理由は木古内町と鶴岡市の130年の歴史だった。

旬の地元食材を使ったイタリアンテイストの新感覚料理「どうなんde’s OcudaSpirits」 旬の地元食材を使ったイタリアンテイストの新感覚料理「どうなんde’s OcudaSpirits」
豪快にもてなすバーベキュー「特選いさりび焼き」は、海鮮と旬の焼き野菜のバーベキュー、地場産最上級ラム肉「サフォーク」、特Aランク「ふっくりんこ」のごはん、トマトアイス、ふっくりんこ玄米茶など盛りだくさん 豪快にもてなすバーベキュー「特選いさりび焼き」は、海鮮と旬の焼き野菜のバーベキュー、地場産最上級ラム肉「サフォーク」、特Aランク「ふっくりんこ」のごはん、トマトアイス、ふっくりんこ玄米茶など盛りだくさん

 山形県鶴岡市は、江戸時代は庄内藩だった。庄内藩は民と藩主の関係が良好で、藩主領地替え(転勤)に反対する領民が江戸幕府に直訴。本来なら反政府として死罪となるところ、感動した幕府役人によって異例の領地替え撤回となったという。このエピソードは天保義民事件と呼ばれ、藤沢周平の小説「義民が駆ける」の題材となった。

 鶴岡は北前船の寄港地としても栄えた。財政的に豊かな庄内藩は幕府との関係も良好で、明治維新の戊辰戦争では公武合体派として会津藩と同盟を結んだ。しかし敗戦後は会津藩に比べて軽い処分で済んだという。

 戊辰戦争後、庄内藩士たちの北海道への入植が進む。入植先は北前船で交流のあった北海道木古内町付近だ。入植者たちは故郷の地名をとって、その地を鶴岡と名付けた。江差線の廃止区間に渡島鶴岡という駅があった。

 庄内藩市の入植は105戸で、明治18年から明治19年ごろまで続いたという。明治19年は1886年。今年(2116年)は130周年にあたる。

 木古内町と鶴岡市は平成元年に姉妹都市となった。その縁で木古内町のシェフが鶴岡市の奥田シェフの下で修行するとともに、ながまれ海峡号のメニューは、食による地方活性化を提唱する奥田氏に託された。

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