野球評論家の張本勲氏は、なぜ失言を繰り返すのか赤坂8丁目発 スポーツ246(4/5 ページ)

» 2016年05月12日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

死に物狂いで栄光をつかみとる

 在日韓国人として広島で出生。5歳のときに広島で被ばくし、バラックの自宅は吹き飛び、実姉を亡くした。幼少時に大やけどを負って右手すべてが内側に曲がり、薬指と小指の自由を失ったものの小学校高学年から野球に没頭。利き腕を右手から左手に変えることでハンディを乗り越え、徐々に頭角を現すようになる。戦後間もない時代で食糧難だったにもかかわらず、好きなだけ腹いっぱいに食べられる高給取りのプロ野球選手に憧れると「母親にもう苦労をさせたくない」という気持ちの一心で、中学時代から本格的に野球の猛練習に励むようになった。

 しかし――。大阪・浪華商業高校(現大体大浪商)に進学後も、そして念願のプロ入り後も「在日」であることで心ない差別を受け続けた。それでも張本氏が超一流アスリートになれたのは、幼いころに死別した父親の分まで自分を女手一つで育ててくれた母親のためだった。

 韓国では母親を「オムニ」と呼ぶが、張本氏の呼び方は「オンメェ」。朝鮮半島から渡って来たばかりで日本語もほとんど話せなかったにもかかわらず、「オンメェ」は子ども4人を育てるために右も左も分からない異国の地で懸命に働き、食べ物とお金をかき集めていた。いつも苦労していた「オンメェ」の姿は今も張本氏の脳裏に焼き付いているという。

 バカにされてたまるか。負けてたまるか。「差別」「被ばく」「困窮」「大やけど」――。その四重苦を乗り越え、大好きな「オンメェ」のために死に物狂いで栄光をつかみ取った。その努力たるや、ここで簡単に評せるものではない。

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