グラスホッパーとホーネットの簡素な車体構成は、専門誌関係者や玄人集団から厳しく評価されたが、商品としての主眼は明快で分かりやすかったし、軽妙で刺すような走りは取材時のプレス関係者のウケも良かった。
当時のコロコロコミックの読者向けイベント「コロコロマンガまつり」などでは、ホーネットの速さが際立つようなデモ走行を見せた後、体験操縦会でノーマルのグラスホッパーを操作してもらい、ユーザーに難しいものではないこと印象付けた。その結果、体験操縦会は所定時間内に終わらないほどの参加者の列ができた。
こうなると、嬉々とした子どもを見ていた親からは「どこで売っている?」と尋ねられ、会場の百貨店の店員からは「なぜ物販をやらない?」と問われ、急遽、その百貨店の玩具売場に問屋から納品してもらうようなことも起きた。
この2台が互いに惹き合うようにして小・中学生へ広がっていくのが肌でも分かった。近い選択肢を提示することの効果であり、どちらか一方しかなければマイティフロッグのような上位車種との直接比較になり、購入動機を狭めたはずだ。
グラスホッパーとホーネットの人気は、漫画ラジコンボーイのストーリーにも練り込まれていった。後に主人公が操るオリジナルマシン「スーパードラゴン」が登場するきっかけにもなったのだ。
タミヤは、グラスホッパーとホーネットのシャーシーに合わせたスペアボディセットとして、スーパードラゴンを製品化することになる。当初は一般の小売店では扱わず、コロコロコミック独占通販だった。しかし思った以上の反響を受け、やがて一般の市場にも流通する。タミヤがIPキャラクターものを商品化する動きは、1968年に制作されたジェリー・アンダーソンの特撮人形劇「JOE 90」シリーズ(※「JOE 90」は、「サンダーバード」「キャプテンスカーレット」を手掛けたイギリスの映像作品プロデューサー、ジェリー・アンダーソンが、1968年に手掛けた特撮人形劇)の「マックスカー」以来のことで、日本のコミック雑誌に登場するキャラクターの模型化は初めてのことだった。
こうしてその後、ラジコンボーイに登場する「ファイヤードラゴン」「サンダードラゴン」「セイントドラゴン」を次々と製品化していく。このことが「レーサーミニ四駆」の誕生につながるのは、そう遠い話ではなかった。(つづく)
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