タミヤのラジコンはこうしてブームになった一大ブームの仕掛け人たち(6/6 ページ)

» 2016年10月14日 06時45分 公開
[前田靖幸ITmedia]
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 グラスホッパーとホーネットの簡素な車体構成は、専門誌関係者や玄人集団から厳しく評価されたが、商品としての主眼は明快で分かりやすかったし、軽妙で刺すような走りは取材時のプレス関係者のウケも良かった。

 当時のコロコロコミックの読者向けイベント「コロコロマンガまつり」などでは、ホーネットの速さが際立つようなデモ走行を見せた後、体験操縦会でノーマルのグラスホッパーを操作してもらい、ユーザーに難しいものではないこと印象付けた。その結果、体験操縦会は所定時間内に終わらないほどの参加者の列ができた。

 こうなると、嬉々とした子どもを見ていた親からは「どこで売っている?」と尋ねられ、会場の百貨店の店員からは「なぜ物販をやらない?」と問われ、急遽、その百貨店の玩具売場に問屋から納品してもらうようなことも起きた。

 この2台が互いに惹き合うようにして小・中学生へ広がっていくのが肌でも分かった。近い選択肢を提示することの効果であり、どちらか一方しかなければマイティフロッグのような上位車種との直接比較になり、購入動機を狭めたはずだ。

 グラスホッパーとホーネットの人気は、漫画ラジコンボーイのストーリーにも練り込まれていった。後に主人公が操るオリジナルマシン「スーパードラゴン」が登場するきっかけにもなったのだ。

RCカー「ファイヤードラゴン(復刻版)」 (C)TAMIYA RCカー「ファイヤードラゴン(復刻版)」 (C)TAMIYA
RCカー「サンダードラゴン(復刻版)」(C)TAMIYA RCカー「サンダードラゴン(復刻版)」(C)TAMIYA
RCカー「セイントドラゴン(復刻版)」(C)TAMIYA RCカー「セイントドラゴン(復刻版)」(C)TAMIYA

 タミヤは、グラスホッパーとホーネットのシャーシーに合わせたスペアボディセットとして、スーパードラゴンを製品化することになる。当初は一般の小売店では扱わず、コロコロコミック独占通販だった。しかし思った以上の反響を受け、やがて一般の市場にも流通する。タミヤがIPキャラクターものを商品化する動きは、1968年に制作されたジェリー・アンダーソンの特撮人形劇「JOE 90」シリーズ(※「JOE 90」は、「サンダーバード」「キャプテンスカーレット」を手掛けたイギリスの映像作品プロデューサー、ジェリー・アンダーソンが、1968年に手掛けた特撮人形劇)の「マックスカー」以来のことで、日本のコミック雑誌に登場するキャラクターの模型化は初めてのことだった。

 こうしてその後、ラジコンボーイに登場する「ファイヤードラゴン」「サンダードラゴン」「セイントドラゴン」を次々と製品化していく。このことが「レーサーミニ四駆」の誕生につながるのは、そう遠い話ではなかった。(つづく)

著者プロフィール

前田靖幸(まえだ やすゆき)

株式会社田宮模型企画部デザイン室入社。同部署の業務と併行して各種メディアへのアプローチやパブリシティを担当。1987年1月〜1994年3月まで、TV番組「タミヤRCカーグランプリ」のパーソナリティも務める。その後、スクウェア(現スクウェア・エニックス)に在籍。2001年に株式会社ジェイゲーム設立、楽天株式会社を経て、2012年より株式会社UEIのCHO(チーフホビーオフィサー)として同社研究開発部門 秋葉原リサーチセンターに所属。


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