大手IT企業、サイバーエージェント。創業社長の藤田晋氏は、同社を24歳(1998年)で立ち上げた。既存のメディアや広告代理店が市場の激変に戸惑う中、いちはやくIT分野での広告(クリック保証型バナー広告)を手掛け、事業を軌道に乗せた人物だ。
その後は、「アメーバブログ」を中心とするメディア事業を大きく伸ばし、同社を売り上げ3000億円超の企業に成長させた。現在も次世代のマスメディアを作ろうと「AbemaTV」(インターネットテレビ)の運営に積極投資を続けているほか、AI(人工知能)や仮想通貨など先端技術を活用した事業を次々と立ち上げている。
本連載(10月7〜9日)では、そんな藤田氏の「経営哲学」をひも解いていく。
企業史の視点で捉えると、藤田氏はいち早く「技術の進化」の波に乗った人物と言っていい。例えるなら、世界で初めて自動車を大量生産したヘンリー・フォード氏に近いかもしれない。
18世紀の米国では「鉄道王」たちが栄華を誇っていた。だが技術革新により自動車が現れると、フォード氏はいち早く「将来はこれがスタンダードになる」と考え、自動車の量産化を開始。モータリゼーションの流れに乗り遅れた鉄道王たちを超える「自動車王」になった。同様に藤田氏は、既存のメディアが昭和の商習慣、枠組みにとらわれている間にいち早くネット広告のスタンダードをつくった人物、と言えるだろう。
ではなぜ、彼は時代の波に乗れたのか。藤田氏の「アプリ論」が、その答えと結びついていて興味深かった。まず、彼が話すアプリの説明を聞いてほしい。
「当社に『755』というコミュニティーサービスのアプリがあるんです。もともとは幻冬舎の見城徹さんや秋元康さん、僕などが入っているグループラインがあって、彼らの発言を読むと自分が独占しているのがもったいないくらい面白いと思ったのがきっかけ。そのうち『これ、世間に公開できたら面白いよね』『タイムラインに表示されない形でチャットができて、いろんなユーザーがやじうまみたいにコメントできたらいいよね』という話になり、アプリの開発につながりました」
仲間の堀江貴文氏(元ライブドア社長)はもともと「LINEのようなものが作れないか」と考えていたこともあり、藤田氏は『755』をつくった。ちなみにアプリ名の由来は、堀江氏の囚人番号である。
なぜ始めたのか。藤田氏はシンプルに「リスクに対するリターンが大きいから」だと言い切る。どういうことか。
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