トヨタのカンパニー制はその後成果を上げているのか?池田直渡「週刊モータージャーナル」(1/4 ページ)

» 2017年11月27日 06時30分 公開
[池田直渡ITmedia]

 2015年4月、トヨタ自動車は大がかりな組織変更を発表した。従来の、会長ー社長からピラミッド型に連なる意思決定システムを大幅に改めた。新体制では、トップにヘッドオフィスを置き、その下に7つのカンパニーをビジネスユニットとして配置する形だ。ヘッドオフィスとビジネスユニットをつなぐ調整連絡役としての戦略副社長会を設置し、各カンパニーには独立権限を持たせた製品軸での組織に改めたのだ。

 ヘッドオフィスとカンパニーの間にガバナンスが発生するのはもちろんだが、新組織ではカンパニー間は完全に独立し、他のカンパニーの干渉を受けない。大部屋を個室に切り替えるような変更だ。

トヨタが17年夏からロサンゼルスでスタートさせた燃料電池大型商用トラックの実証実験。水素燃料電池は長距離定期便のような運行には適している トヨタが17年夏からロサンゼルスでスタートさせた燃料電池大型商用トラックの実証実験。水素燃料電池は長距離定期便のような運行には適している

急成長と肥大化

 そもそも豊田章男氏が社長に就任した09年、前年のリーマンショックでトヨタは大打撃を受けた。2000年代を通じて増産に次ぐ増産を繰り返してきたトヨタは、急成長の報いを受けた。トヨタの公式HPのデータを拾い出して見ると、生産台数の推移は以下のようになる。

02年 631万台

03年 683万

04年 755万台

05年 823万台

06年 902万台

07年 950万台

08年 923万台

09年 723万台

10年 856万台

11年 786万台

12年 991万台

13年 1012万台

14年 1029万台

15年 1008万台

16年 1021万台

 02年から5期連続で10%近い成長を続け、リーマンショックで一気にマイナスに転じた後、10年と12年には2段階に渡って再び驚異的なV字回復を見せている。どん底からの立ち直りは見事だったが、しかし13年に1000万台の大台に乗せた後は成長率に明確な鈍化の傾向が見られる。

 つまり豊田章男政権は、どん底でバトンを引き継ぎ、危機的な逆境を跳ね返したまでは良かったが、10年少々で400万台という莫大な生産台数を積み上げた副作用を解決する決定打がまだ見えない。

 もちろん当のトヨタはそんなことは百も承知で、自己分析を行い、急成長に伴う意思決定システム肥大化に原因を求めている。肥大した組織の中で、多くの了承を取り付け、気の遠くなるような部署間のすりあわせを要するのでは物事が進まない。豊田社長をして「何も決まらない会議」と言わしめるほど、その機能は動脈硬化が起きていたのである。

 豊田社長は、巨大なトヨタを独立させたカンパニーに分けることで、意思決定の速度を高めようと考えた。一番事情が分かっている車種担当の部署が企画立案から開発、生産まですべてをカバーするのである。16年に7カンパニー制でスタートしたこの分社化プロジェクトは、1年後に10カンパニーに再整理された。一気に変えられる部分と調整に時間のかかる部署の差が、この1年のズレになっていると筆者は理解している。

 筆者には30万人を擁するトヨタの規模でプロジェクトを動かすということの機微はとても分からないが、豊田社長はそれを多角形の頂点間を結ぶ線で説明した。AからBとBからAのコミュニケーションパスを別のものとしてカウントすれば、線の数は「n+(n-1)+(n-2)……」とnが1になるまで足し合わせたものになる。三角形なら線は3+2+1なので6本。しかし四角形になれば4+3+2+1で10本。五角形なら5+4+3+2+1で15本という具合に増えていく。現実には数十の部署が調整を取るのだろうから大変だ。ちなみに10角形だと55回。20角形だと210回のすり合わせが何か1つ決めるたびに必要になる。

 つまり、トヨタが今後、グローバルマーケットを勝ち上がっていけるかどうかはこのカンパニー制で懸案の情報流通速度を向上できるかどうかにかかっているのだ。

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