14年7月、五穀屋のブランドが無事に立ち上がり、店頭に商品が並べられた。しかし、いきなり売れるほどビジネスは甘くない。販売を増やすためにどのような取り組みがあったのだろうか。
1つに海外でのブランディングがあった。和菓子離れの進む日本人に対して直球で和菓子を提案しても一筋縄ではいかない。一方で、日本の消費者は海外から入ってくるものに興味を持つことが多い。和菓子の逆輸入を図ったのだ。
千載一遇のチャンスが訪れる。静岡県が15年にイタリア・ミラノで開催される「ミラノ国際博覧会(ミラノ万博)」に出展するので、そこで五穀屋の和菓子を出品してほしいと依頼されたのだ。「いずれは海外でチャレンジしたいという思いはありましたが、もっと先の計画でした。そうした中で県からチャンスをもらったわけですが、せっかくなので行こうと決めたのです」と山崎社長は話す。
ただし、初の海外出品ということで、その準備に悪戦苦闘した。例えば、もなかのあんにクチナシを使用していたが、これはヨーロッパに持ち込めない素材だったため、急遽同じような味で、同じような色が出る原材料を見つける必要があったのだ。
慌ただしく準備を進めつつも、満を持して臨んだミラノ万博で、五穀屋の和菓子は高い評価を受ける。特に玉ようかんは見た目の美しさや味などに興味を持たれ、イタリアの名門、メディチ家で献上することとなった。これらの実績は春華堂にとって「海外でもやれるんだ」というこの上ない自信につながった。
現にその後、16年7月には米国・ニューヨークで開催された食のプレミアムイベント「Chefs & Champagne」に日本企業として初参加。17年7月にも同イベントに参加したほか、9月に行われたニューヨーク国連総会の日本政府主催レセプションでも五穀屋の和菓子が振る舞われた。
「和菓子が世界で通用するのかどうかは、正直行ってみないと分かりませんでした。当初は海外の人たちはあんこを食べないなど、いろいろなことを言われましたが、あえてようかんを出品すると、意外にも受け入れてくれたのです。日本の和菓子は世界でも通用するのだと感じましたし、当社の商品だけでなく、ほかの和菓子でもきっと通用するはずだと思いました」(山崎社長)
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