「口裂け女」を岐阜のアイドルにした、地元経営者の“本気”商店街に活気を(1/5 ページ)

» 2018年01月09日 07時00分 公開
[加納由希絵ITmedia]

 人の波に飲まれながら、親の手を握りしめて必死についていく。子どもの視界では、人々の頭とアーケードの天井しか見えない。聞こえてくるのは、ガヤガヤとしたたくさんの声と流行歌「柳ケ瀬ブルース」。店から流れてくる食べ物のにおいやキャバレーの近くで感じる香水の香り――。

 今はもう、この風景は見られない。岐阜市の中心部にある「柳ケ瀬商店街」の昭和の風景だ。記憶の中にある柳ケ瀬の姿を教えてくれたのは、1964年に岐阜市で生まれた吉村輝昭さん。家業の建設会社を経営している。

 シャッターを下ろす店が増え、客も少なくなった商店街に寂しさを感じていた吉村さんが2012年から有志でチャレンジしているのが、「お化け屋敷」だ。岐阜発祥の「口裂け女」をテーマにしたコンセプトと本格的なしつらえが話題となり、大盛況に。夏の柳ケ瀬に、たくさんの子どもや若者が訪れるようになった。

 なぜお化け屋敷なのか。そして、どのように人々に受け入れられたのか。柳ケ瀬に対する思いを原動力にして、思いを形にした吉村さんの情熱に迫った。

photo 柳ケ瀬商店街(岐阜市)のお化け屋敷の主役「口裂け女」

柳ケ瀬がこんなふうになってしまうとは……

 柳ケ瀬商店街は岐阜駅から北へ1キロほどのところにある。大規模なアーケードを備えた商店街だ。中心部には高島屋がそびえたつ。しかし、15年ほど前まではもっとたくさんの百貨店や大型スーパー、ファッションビルがあった。それらが撤退した後、土地や建物が新しい施設に活用されたところもあるが、今もシャッターを下ろした当時のまま、廃墟のようになっている建物も多い。

 何が柳ケ瀬の風景を変えたのか。一因になったのは、郊外型の大型商業施設だ。買い物ができて、ご飯を食べて、映画も見られる。車社会の岐阜では、休日に家族で過ごす最適な場所として人々の生活になじんだ。そして、柳ケ瀬からは足が遠のいていった。

 そんな急速な変化を目の当たりにしてきたのが吉村さんの世代だ。「柳ケ瀬がこんなふうになってしまうとは……。大人になって、寂しい思いを抱くようになりました」。何かできることはないのだろうか。経営者となった吉村さんは模索するようになる。

 転機は、オカルト作家の山口敏太郎さんとの出会いだった。米国で始まった、化け物などの都市伝説を地域おこしに生かす「クリプトツーリズム」の手法を教えてもらう。海外では「ネッシー」のネス湖(英国)などが有名だ。

 「それなら岐阜でもできる。『口裂け女』があるじゃないか」。吉村さんの胸に、子ども時代のある思い出がよみがえってきた。

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