BTSの「原爆Tシャツ」騒動が起きても、韓流ブームが打撃を受けない理由スピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2018年11月13日 08時43分 公開
[窪田順生ITmedia]

モヤモヤした結論

 先日、『ワイドナショー』(フジテレビ)にメンタリストのDAIGOの弟で現役東大生の松丸亮吾さんが出演して、今の大学生は政治的な話をすると、何か危ないこと、いけないことをしているような気がして、そういう話をする人は敬遠されると言っていたが、実はここに尽きる。

 よく言われるが、米国では、学校教育の中に当たり前のようにディスカッションが取り入れられている。原爆投下についても、米国は「核大国」である以上、「核は戦争を終わらせるものであるやむなし」というのが前提にあるが、本当にあれがいい判断なのかどうだったのかなんて当たり前のように議論をするのだ。

 ところが、日本は小学校から大学まで、当たり障りのない意見を出し合う「話し合い」しかされない。歴史の教科書にも戦争はいまだに、被害や年号など事実のみが記載され、データとして学ぶだけで「評価」はスルーされる。あの戦争がなんだったんのか、原爆を落とされたことは、我々が悪いのか、米国が悪いのかという深い議論はしない。

 「戦争が悪い」とか「あの悲劇は繰り返さないように」というモヤモヤした結論で片付けられる。

 70年以上、建前的な議論しかしてこなかったのだから、原爆が落とされた日が忘れられるのも、「あれはしょうがない」という容認派が増えていくのも、ある意味当然と言えば当然の話なのだ。

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