なぜ「スガキヤ」は中京圏で繁栄した? 「だし」の哲学と強固なビジネスモデル長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/5 ページ)

» 2019年03月19日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

高度成長期に躍進

 スガキヤは1969年、名古屋の大曾根にあった商業施設「ほていや(71年にユニーとなる)」にはじめて出店した。当時11店だったスガキヤの店舗数は、73年に100店、78年に200店、83年に300店と増えていった。まさに、日本のショッピングセンターが高度成長と共に快進撃を続けていくのと歩調を合わせるようにスガキヤも発展してきた。

 一時期は東京にも店舗があったが、家賃が高く大きな商圏にも向かなくて撤退した。日高屋も首都圏から外には出ない主義なので、その地域にしかない強力なラーメンチェーンは決して珍しくない。

 しかし、今や流通環境の変化が目覚ましい。ネット通販が伸びて、特にアパレルではショッピングセンターの集客が厳しくなっている。食品を強化してきたドラッグストアに押されて、大手食品スーパーの客足も鈍っている。外食には深刻な影響は及んでいなくても、施設全体の集客が弱まれば、当然スガキヤの売り上げが減ってしまう。

 スガキヤにとって良い得意先だったユニーが、18年にパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(旧ドンキホーテホールディングス)に買収されたのも、先行きを不透明にさせている。

 そこで、主にパチンコ店に併設する高価格ラーメン業態「寿がきや」(25店)、博多うどん「木村屋」(3店)のような新業態を開発するなど、環境変化に対応した事業に活路を求めて成果も出ているが、大ブレークには至っていない。

 これまで幾多の先進的な取り組みで、安価なラーメンやソフトクリームを提供してきたスガキヤのパワーは、年に1回(3月第1週の土・日)開催される半額キャンペーン「スーちゃん祭り」の長蛇の列を見れば明らかだ。

 難局を打開する新たな立地戦略として、駅前やロードサイドなどの開拓に期待したい。

photo 新業態の寿がきや
photo 新業態の寿がきやの内観

著者プロフィール

長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)

兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)など。


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